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深夜の地下1階
「3、40年ぶりかな? この街も様子が変わりましたね」
ここは俺がよく取材に使うバーだ。
横に座るのは、タバコを吹かしながら話す50代の男。薄明かりにも反射する黒スーツ、テーブルに触れる太鼓腹が彼が成功者であると物語っていた。
「私も若い頃は毎晩この街で飲み歩いては仲間と騒いで、まぁ無茶も沢山やりましたよ」
――じゃあその頃、あのデパートへ?
「えぇ。もちろんよく行きましたよ。あそこへ行けば何でもあったので。仕事の買出しもプライベートの品も。あ、あとお中元もお歳暮も、大量に予約してましたよ」
彼が語る姿は上機嫌なキャバクラの客のようだ。
――その中で当時エレベーターガールをされていた女性とお知り合いになったんですね。
彼の目付きがほのかに変わった。柔らかだった頬が張り詰めていた。
「彼女とは本当に偶然の出会いで、1対1になって、エレベーターの中で。綺麗だなぁと話しかけたら意外とノリがあったんです」
――なるほど。ではお付き合いを?
「はい。1月ほど後に正式に付き合うことになりました」
--その時期というのは……。
「その年の12月ですね。忘れることはないです」
――ちょうど、あの事件の1月前ですか。
「まさかあんな大火事が起きるとは……思ってもいませんでした。慌てて駆けつけたら、山のような人混みと煙と、熱気に襲われました」
――その火事で380人以上が死傷、火事は電気系統の故障と判明しましたが、デパート側の消火設備不良や事後対応の悪さから史上最悪の"人災"だと言われましたね。
「……はい。彼女もその時亡くなりました。遺体は中まで、真っ黒に焦げてました。歯の治療痕がなければ身元は、分からなかったそうです」
その言葉には淀みがあった。人の死は軽いものでは無い。彼は胸ポケットからハンカチを取り出して、額の汗をぽんぽんと拭いた。
――悲惨ですね。ではそれ以降、この街には来られていないのですか?
「いえ。その事件のあと何度か献花と供養のために訪れました。そう、四十九日の時です」
うつむき加減の顔をこちらに上げ直し、男の語気が強まる。
「私は彼女含む犠牲者の四十九日に、解体が進むデパート跡地に向かいました。同じように家族や友人をなくした方々に紛れて線香と花を捧げました」
――その場にはどのくらいいらしたんですか?
「滞在したのは10分くらいだったと思います。その後は駅に向かったんですが、道中で、会ったんですよ」
――誰にですか?
「彼女ですよ! 家事で死んだはずの彼女が、私の目の前に現れたんです」
言葉に合わせてテーブルを叩く男。熱が昇っているみたいだ。
「当然私も目を疑いましたよ。でも『久しぶり』って向こうから言ってきたんです。だから私も『あぁ久しぶり』と返したんです」
俺は話を遮らないよう、細かく頷き相づちを打った。
「彼女は
『あたし、新しいお店で働き始めたの。また会いに来てね』と懐かしい笑顔で言いました。
『わかった。そのうち行くよ』私はそう返事をしました」
先程の感情の沸き立ちは冷えて、落ち着いた口調に戻った。
「たったそれだけ話して別れたんです。すれ違いざま、嗅いだことのある匂いがしたので振り返ると、彼女の脚はあの日の遺体と同じく真っ黒に焦げていました。匂いは、肉の焦げた臭いでした」
語り終えた彼の顔は、決して悲しみに沈んではいなかった。
それは彼女との付き合いが短かったせいもあるだろう、30年以上という長い月日のおかげでもあるだろう。
ただ、彼の両目は汗だと言い訳できないくらいに濡れていた。
幽霊話は数あれど、その中には真偽が重要ではない、本人が信じるのであればそれが紛れもない真実に昇華されるのだ。
良い話が聞けた。
俺は御礼だけ述べて席を立った。
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