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或る如月の善き日。
「酒々井さんの紋付袴姿なんて、滅多に見られないから何だか七五三の祝いのようだなあ」
孝平は冷やかすように云うと、支度の済んだ正人に黒檀扇子を手渡した。
袴に皺が出来ないようにずっと立ったままの正人に付き合っているのだ。
「失礼だなあ孝平。私だって暦とした日本人だよ」
京都の親代わりの佐倉夫妻も仲人となり、自宅を祝言の席として整えて来客と花嫁の到着を待っている。
「――遅くなって済みません!明日香です」
玄関の引き戸を開けて良く通る声が響いた。
正人が驚いたような顔で孝平に視線を遣る。
「俺が連絡しておいたんですよ。正人さん、博多のご両親に連絡してなかったでしょう。せめて神戸の明日香さんには出席して頂かないと」
明日香は正人の六つ違いの妹で、西日本新聞で文化部記者をしているが、
今は長期休暇を取り国際記者に成る為に神戸女学院の英語研究科に通って居る才媛だ。博多の実家では高秀館という剣道道場で師範代を勤めていて、面打ち小町と云う異名まで持っている。
祝言の膳の用意を仕切っていた露が、慌てて襷を外して袖を戻しながら、二階へ声を掛けた。
「酒々井はんは御支度続けてください、うちが明日香はん御迎えしますわ」
「どれ、私も挨拶しようか」
正人と孝平の脇で手持ち無沙汰だった枝盛も畳から腰を上げて階下へ降りて行く。
今日は目の醒めるような空色のドレスと白い帽子で玄関先に現れた明日香は、出迎えた露と枝盛に丁寧に挨拶した。
「本日は兄の為に立派な席を整えて頂いて、有難う御座います。博多の父母の名代として御礼申し上げます」
二年前には切詰めだった黒髪も、今は毛先をカールさせて更にモガ振りを発揮させて居る。近頃の若い女性憬れの的資生堂のポスターから飛び出したような姿だ。
「飛んでもない。私どもが仲人に成るだけで光栄の至りやのに、家から婿を出す心地まで酒々井君に教えて貰えて嬉しい限りやて、家内と喜んでましたわ」
「さあさ、明日香はん、お兄さん待ってはりますよ。お祝い云うて上げてなあ」
「はい。失礼致します」
留め金を外し框に上がって、ハイヒールを揃えると、小気味よい音を立てて正人の居る二階へと階段を上った。
「兄さん、西園寺さん、お久しぶり」
「やあ、明日香さん。どうぞ正人さんとゆっくり話して下さい。――俺はちょっと外します」
気を利かせたつもりなのだろうが、
「隠れて話すことなど無いわ。どうぞ西園寺さんも一緒にいらして。兄さんも其の方がいいでしょう?」
「――そうだね。孝平、君も居てくれ」
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