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明日香にかかっては二人がかりでも太刀打ち出来ない。
孝平に勧められた座布団に座った明日香は、剣道の試合の立会い前のようにしっかりと背筋を伸ばして兄を見据えた。
「――嫌だ。こうして眺めると端午の節句のお祝いみたい」
「孝平のようなことを云うんじゃないよ明日香」
「西園寺さん、連絡してくれて有難う。――兄さんたら、実家に倫敦へ行くことも知らせてなかったのよ…」
「あちらに移り住む訳ではないんだ。私はもう家からは独立して居るから態々知らせる必要は無いよ」
「またそんな事を云って!父さんからの御祝いも預かって来てるのよ。せめて発つ前には兄さんから連絡してあげて」
柳眉を逆立てて怒りを顕にする明日香を宥めるように、
「まあまあ、明日香さんも正人さんも。お祝いの席だから、兄妹喧嘩は程々にして下さい」
「本当に、こんなに頑固な兄について行く夢乃さんがお気の毒だわ。――でも」
明日香は堪えきれなくなったのか、立ち上がると正人の懐に飛び込んだ。
こんな場面を目の前で見る事に慣れていない孝平は窓の外に目を遣って、やはり部屋から出ておくのだったと後悔した。
「幸せになってね、兄さん。二度と日本国に帰ってこなくてもいいから、私にだけは手紙を頂戴」
正人は妹を抱き留めて応えた。
「それも孝平からの受け売りかい?――有難う明日香。御前に祝って貰えるのが嬉しいよ。義人にも黙っていて悪かったと謝って置いてくれないか」
明日香は振り切るように兄から離れた。
「御免なさい。化粧が羽織につくわ――私、下で露さんの御手伝いしてくるから」
小さなバッグから慌ててチーフを取り出して、顔を隠すようにして出て行く。孝平がそれを追い掛けようとして、
「――正人さん、ちょっと俺も…行ってきます」
正人の了解を得るべく逸る足を何とか留めて云う。
「ああ、立ち話で疲れただろう。暫くここは良いよ」
「はい!」
孝平が明日香と幾度か連絡を取り合っては神戸に逢いに行っていたらしいことは知っている。孝平がお転婆で我侭な明日香の何処を気に入ったのか正人には良く解らないが、妹が困った時に,遠くに居る自分の代わりに力になって欲しいと願っていた。
赤くなった瞳を見られたくないのだろう、階段の下で佇んだまま外にも出られず、手伝いに露の処にも行けずに居る明日香に、
「――まだ式まで時間が暫くあるから、少し外に行きませんか」
孝平が誘うが、
「嫌だわ。こんな泣き腫らした顔を人に見られるのは。それに連れ立っている貴方が泣かせたと思われたら困るでしょう」
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