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「久し振りだな孝平、此処へ来るのは億劫そうに見えるが、せめて便り位は寄越さぬか」
早くも洗礼を受けて面食らった孝平は仏頂面で返した。
「申し訳ありません――お久しぶりで御座います、御祖父様」
入口で袴を調えて正座をすると、ぺたりと額づく。慌てて隣の正人も倣って平伏した。
「うむ。――今日は客人が一緒だ、今日はこれくらいにしておいてやろうて。面を上げて入れ。――酒々井君、孝平に習ってくれるなよ。君は客人だ。手を挙げてくれ。そう畏まられては困る」
そう促されてやっと起き直る。部屋の内からこちらを見ているのは、孝平が『好々爺』と評するのが良く解る、新聞等の写真で見るよりずっと穏やかな顔だ。
「孝平君には京都でお世話になっています。酒々井正人と申します」
口からふう、と息を吐いた公望翁は、笑い声に合わせて煙管の雁首を煙管箱に打ちつけた。
「いや、いや、そんな謙遜はしなくていいぞ、どうせ孝平が一方的に世話に成って居るのだろう。これは、私の若い頃にそっくりで無頼で仕方ない奴だから」
何のかのと囃し立てて、結局は孫が可愛いのだと解る。
「さあさあ、入って適当に寛いでくれたまえ。孝平、早く障子を閉めろ。爺には隙間風が冷たくて叶わん」
客は三人であるが設えられた座は二枚のみだ。しかし孝平は心得たように、
「――どうぞ御掛け下さい」
神妙な面持ちで原と正人の二人に座布団を勧めてから、障子を音が立てないように手を添えて閉め、部屋の隅の違い棚の前に控えると畳上で直に正座した。
客人が招かれた時は其処が孝平の指定席なのだろう。まるで書生だ。
「さて、新年早々、わざわざ拙宅まで御運び戴いて真に忝い」
公望翁は口上を述べてから、煙管の灰を捨てて箱の上へ戻した。
「特に酒々井君には、一昨年の関東軍絡みの事件解決に智恵を随分絞って貰ったから直接礼が述べたかった。あれは、原君の政権安定に随分貢献してくれたから」
この六代、政権は持って一年半という短期で交代する短命内閣が続いて居たが、原敬内閣はその期間を切り抜け、久々の長期政権を思わせる三年目を既に迎えていた。
軍部が政権を左右するように成っていたこの時代、軍部を抑えることができる契機を与えたのが二年前の事件の首班が関東軍であるという事実を掴んで突きつけたことも一役買っていた。
原が公望翁の言葉を受けて、
「そうそう、奴等の驚いた顔と言ったら――最後には関東軍の一存であるなどと言い居ってね。実際新潟でも同じような勾引が何件か発生していて、それも奴等の仕業だったのだ」
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