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公望翁の家でその日は過ごし、孝平の生家で両親に挨拶をするなどして、五日程東京に滞在した後、正人と孝平は京都へ帰る夜行列車に乗り込んだ。
土産にと祖父に持たされた銘酒を早速開けて杯に注ぎながら、
「――飛んだ正月でしたね、正人さん」
「そうだね」
請けた杯を一気に飲み干した正人は、
「しかし君の御祖父様や原首相などと直に会えるなんて、光栄な限りだったよ。孝平には感謝をしないといけないな」
「偶々生まれついたのがあの家だったというだけです。俺なんかどう考えたって祖父を継げるだけの器量は無いですから」
「そんなことはない。君が勉強家であるということは私が良く知っているよ。――勉学と違って、本人の努力では公爵家に生まれつくことなど出来ないのだから、それは君に与えられた、僥倖だと思った方がいい」
「そんなものですかね」
そんなものだよ、と杯ひとつ飲み干しただけで顔を紅くした正人は、
「――私の…」
余り家族のことについて御互い面と向かって話した事は無かったが、東京で孝平の家族に会ったことに触発されたのだろうか、芸術品を語る時の口調で滑らかに話し始めた。
「今の義母は私が四つの歳に死んだ実母の妹でね。私とは歳が十二しか離れて居ないから、とても母とは呼べなかった」
父は正人には母が必要な年齢だろうと考えて再婚したのであろうが、それが返って、正人を頑なに義母から遠ざける結果となってしまったらしい。
正人の性格で反抗というのは想像し難いが、母を今でも名前でしか呼ばないと正人の義妹の明日香が云って居た。
『――兄は、私の母を姉のように慕っていたそうです。それが急に父に嫁いでしまって、『母と呼ぶように』と云われては、私でも戸惑ってしまうわ。父と母は兄の心を踏み躙ってしまったのよ』
何時の世でも、千年前の作り話の中でさえ、似たような事態(シチュエーション)はある。
だから明日香のように感情的に反応するのはどうかと孝平は思うが、結局正人が父と義母に負の感情を抱いた為に、それをどうにかして償おうと義母が心を砕いたその行為が、
正人の意に反した形で明日香や義人は何時も一段低い所に留め置かれ、酒々井家の次期の主は正人だと教え込むという形になってしまったのだろう。
「父も義母も妙に気を使うんだ――居たたまれないじゃあないか。明日香や義人が偶々先妻の子の弟妹として生まれたからと云って、いつまでも下に留め置くのが、彼等に与えられた運命劇の筋書というなら、其れを書き替えることは私にしかできないだろう。だから私は修猷館の専攻科卒業と同時に家を出た。二度と博多には帰らないつもりだよ」
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