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コトリと冒険
それはこの巣に住むヒトから『ボッチャン』と言われていた。ボッチャンは、この四角い巣が組み合わさってできている巣の持ち主の子らしく、他にもいるヒトにお世話をされていたりした。私は、私がもっと若いときにボッチャンの寝床の巣に連れてこられて、一緒に暮らすことになった。逃げないようになのか、私はオリに入れられていたけど、ボッチャンはたまに出してくれた。もちろん、他のヒトには内緒だからボッチャンと暮らしている巣だけだし、見えないもの越しに見えるソトには出たことがなかった。出てみたかったけど、私がいなくなったら、ボッチャンは悲しむのだろうなと思うとできなかった。
ソトに出られるはずなのに、ボッチャンは巣の中から出ることがなかった。ごくまれに親である持ち主がやってきて、ボッチャンを巣から連れ出すぐらいだ。
ヒトがどれだけ大きくなるか知らないけど、ボッチャンは体が小さいままで、肉付きもよくない。巣立ちできるのか心配だけど、私にできることはない。
私がやれることとしたら、ボッチャンが見せてくれる薄くぺらぺらしたソトが写ったやつを一緒に見ることぐらい。それを見るときのボッチャンはいつも笑っていて、楽しそうだった。きっと、ソトが好きだったんだと思う。ボッチャンが何を言っているのか、私にはわからなかったけど。
言ったことはないけど、私はボッチャンと友達だと思ってる。
もう言うこともできないんだけど、もし私がヒトの言葉を喋ることができていたら、喜んでくれただろうか。
ボッチャンと暮らし始めて三度目に春が来たときのことだ。
いつも起きる頃を過ぎても、ボッチャンは動かなくて私が何度呼びかけても返事をしてくれない。目も覚まさない。怖くて叫んでいると、他のヒトがやってきて、慌ただしくボッチャンに何かし始めた。
ボッチャンが連れていかれて、戻ってきたのは太陽が昇って四度目の頃。
帰ってきたボッチャンは寝床から出なかった。体が動かないというのもあったのかもしれないけど、親に良くなるまでじっとしていなさいと言い聞かれていたのかもしれない。
寝床で体を起こすことができるぐらい元気になっても、寝床から出ることはなかった。
よくため息をついていて、なぜか悲しそう。ボッチャンに笑ってほしくて、私は歌った。
私には親の記憶がないから、聴いたことがあるやつを真似した。
少しだけ笑ってくれてほっとする。これで笑ってくれなければ、私にできることなんてなかったから。
本来なら真っ暗なはずの巣は淡い光で照らされている。
ボッチャンは寝床にオリを寄せて私のことを覗き込んだ。
「……おまえは、その羽でどこへだって飛んでいけるんだろうね」
ふうっと漏れた吐息が私の羽をなぞる。
「外が楽しいところばかりじゃないのは知ってるけど、一度でいいからここじゃない遠くへ行きたかったな……。なんてね、無理なのはわかってるんだ」
ヒトの言葉はわからない。顔だって、笑い声だって鳴き声だって私たちとは違いすぎる。
でも、とても悲しい気持ちなのは伝わってきた。
私がヒトの体を持っていたら、寄り添って体温を分けたかった。
ボッチャンは、また私のことをオリから出してくれるようになった。ボッチャンも寝床から出て、以前と同じようにぺらぺらした物、ソトが写ったやつと黒い線がのたくったようなやつも見ている。だけど、あまり笑わなくなった気がする。
巣の外側で他のヒトが呼びかけてきたときは、急いで私のことをオリに入れて、ボッチャンも寝床に入っていたので、このことは内緒みたいだ。親とか他のヒトに良いって言われていないんだろうな。
寒くてソトが真っ白になることもあるような日だった。
げほげほ、ごほごほといった嫌な音がしていて、それはボッチャンの喉からしている。
大丈夫? と鳴いた私にボッチャンは答えようとしたけど、止まらないみたい。ボッチャンはぐったりと寝床に潜り込んだ。
巣の中を他のヒトが出入りするようになった。でも、お世話をしてもらってるのに、ボッチャンの体調は良くならない。
何度も日が昇った。最近、ボッチャンは起きてもすぐに寝てしまう。
戻ってこない。さみしい。
ボッチャンが連れてかれてしまった。巣の中には私しかいない。何度日が昇ったのか、もうわからなくなってしまった。
無意識に、嘴からこぼれたのはあの日の歌。私の歌を聴いて笑ってくれた。もう戻ってこないのかな。
歌い終わって、何気なく視線を寝床へ向ける。自分の目を疑った。
光っているものがボッチャンの寝床の上を漂っていた。下から上に流れるような光は丸みを帯びている。ソトの生き物なのかもしれないけど、私には名前がわからなかった。
これは、なんだろう。襲われるかもしれないと身構えるが、漂ったまま微動だにしない。
放っておけばいなくなるかなと思ったとき、不思議な生き物は私のオリの前で漂っていた。
いつのまに。びくりと体が震える。オリを抜けるように入ってきて近づいてくるので、自然とオリの隅のほうへ下がっていた。
もう逃げられない。
いつのまにか、眠ってしまったようだった。
同族のさえずりが聞こえて、見えないものが開いていることに気づいた。風が吹き込んでカーテンが揺れている。そんなこと、今まで一度もなかったのに。
オリの入り口も開いている。
このときの私には、誰が開けたとかそういう疑問はなかった。今ならソトに出ることができるというので頭がいっぱいだった。
私はソトへ飛び出した。
風で体が押し上げられる。吹き飛ばされるような風でもなく、弱すぎるということもないので、あまり羽ばたかずに羽を広げているだけでよかった。
偽りの木とは違って、ソトの木は青々しい。その目に優しい葉の色が私は好きだ。ふるさとの匂いはこんな感じなのかもしれない。葉脈が波打っているように見える気がした。
生きているんだなあ、私。
飛んだ先々は、ボッチャンに見せたいものばかりだった。
空の青さ、風の心地よさ、草木のいい匂い。全部、素敵なものだ。
巣から離れてどれくらい経ったのか、花畑を囲むように生える木の枝に降り立つ。
近くの枝から、花が零れ落ちる。なんでだろうと、視線を向けると花を花畑に落としていくのは同族だった。
彼女を一言で表すなら、真っ白い。
随分と綺麗な別嬪さんだ。私より体はずっと大きいけれど、彼女の美しさは体の大きさなんて関係ない。カー、カア、とゆったりとした低い声が魅力的だった。
「あなた、よそ者よね」
確かに、私はあなたの言うとおりよそ者だけど、縄張りは荒らすつもりはない。
「そう、それならいいの。ねえ見て、綺麗でしょ。花畑はいくつかあるんだけど、ここの花のほうが綺麗なの」
彼女は何かに思いを馳せるように目を瞑った後、私が止まる枝に飛び移った。ぐいっと顔を寄せられて、つい後ろに下がってしまいそうになる。
「それで、よそ者さんは何しに来たの?」
答えなくてもよかったのに、ぽつりぽつりと話していた。
ヒトであるボッチャンと暮らしていたが、そのボッチャンがいなくなってしまったこと。それで、ソトに飛び出してきたということを。
「ふーん、あなたがその巣の帰るのかどうでもいいけど、とりあえずいろいろ楽しんだら? 私はここで楽しく暮らしているわよ」
彼女は、花が好きでこの花畑から花を摘み取って巣を飾り付けているらしい。実際、見せてもらった巣は花で彩られていて、綺麗だった。
私は、この花畑の花をボッチャンに見せてあげたいなと思った。
そのことを彼女に話すと、彼女は花を選んでくれた。小柄な私でも運べる小さめの花だったが、黄色い花びらが可愛らしい。きっと、ボッチャンも喜んでくれるだろう。
親切に、木の実をごちそうしてくれた、飲み水がある場所も教えててもらったので、しばらくここに住むこともやろうと思えばできると思う。
こんなに同族と触れ合ったことがなかったので、緊張したがそれも次第にほぐれて談笑できるぐらいの仲になった。
綺麗な同族と別れて、枝にとまって休憩しながら飛んでいると、ヒトの作った巣が見えた。だけど、ボッチャン達が住む巣とは何かが違う。初めて見る白と黒のまだら模様の生き物が、モーと鳴き美味しそうに草を食んでいる。
私にはヒトが住むための巣ではないように思えた。
ボッチャンと見たぺらぺらしたやつに写っていた生き物もいる。確か、あれは『ブタ』と言っていた。
「おい、やめてくれ」
不満そうに鼻息を吐いたのは白黒の生き物だ。気づかれないように近くまで行くと凄く大きいのがわかる。ボッチャンの親より大きい。
「いや、ごめんな。暇でさ、ご主人様はまた家の中に戻っちゃったし」
謝りながらも白黒の生き物の尻尾をふんふんと嗅ぎ続けるのは『イヌ』という生き物に似ている。やめようとしないことに業を煮やしたのか、尻尾が勢いよく振られてイヌの横っ面に直撃した。イヌはくらくらするのか、頭を二、三度振るともう尻尾を嗅ごうとはしなかった。心なしか距離をとっているように見える。
「それで、俺たちのことを見てる君は誰だ?」
「はあ、何言ってるんだ。誰もいないじゃないか」
ぼーっと彼らの会話を聴いていたが、気づかれていたみたいだ。
いや、だからと眉をひそめたイヌの前に慌てて飛び出したけど、嘴にくわえていた花を落としそうになってバランスを崩して、地面に転がってしまった。
「小さなお嬢さんじゃないか、大丈夫かい?」
白黒の生き物の鼻息がぶわーっと私の羽を逆立てる。きっと頭もぼさぼさになっているだろう。
「なんだ、いたずらやろうじゃないのか」
いたずらやろう? と思ったけど、とにかくごめんなさいと謝る。私はむしゃむしゃ食べられてしまうのかもしれない。
「いや、食べないから!」
「おい、食べちゃうのか?」
「このウシは何言ってるの? 食べないって言ってんじゃん」
食べないのか、安心した。嘴にくわえている花は汚れることなく綺麗なままだった。これをボッチャンに見せないまま、死んでしまうなんて無念すぎる。選んでくれた彼女にも申し訳ない。
体についた砂を払ったとき違和感がある、羽を痛めてしまったかもしれない。
「ごめんね、驚かせて……てっきりいたずらやろうだと思ったんだ」
謝ってくれてるし悪気はないのはわかっている。というか、いたずらやろう?
「そう、いたずらやろう。あいつはご主人様が世話をする、ウシやブタに糞を落とすんだ。あいつの糞は落ちづらいのに、本当に迷惑なやつだよ」
どうやら、同族のことみたい。なんでそんな酷いことをするんだろう。
「なあ、お嬢さんはなんでこんなところにいるんだ?」
ここから早く出て行ってほしいということかな。
「お前は言葉が足りないな。あのね、お嬢さんみたいな色鮮やかなトリ見たことがないんだよね。お嬢さんはヒトと暮らしていたんでしょう?」
彼らにもボッチャンの話をすると一番初めに言われたのは「早く帰ったほうがいい」ということだった。ここから出ていけと言っているわけじゃなくて、私が目立つから早く帰ったほうがいいらしい。
目立つとお嬢さんたちを食べる生き物に見つかって食べられてしまうよとウシは心配そうだ。
でも、まだしたいことがあるので帰ることはできない。
そっか、とため息をついたイヌは親切だった。
「じゃあさ、暗くなる前にここで日が昇るまで過ごしていきな」
ソトに出てから、私は親切にしてくれる生き物ばかりと出会っているなと思った。
花以外にも、持ち帰りたくていろいろ探しているのだけど、やっぱり羽を痛めてしまっていたようでうまく飛べない。行きと違って風も弱くなってきた。ボッチャンの巣にいたときよりもずっと寒くもなってきていた。
こまめに休憩をとっているけど、もうあきらめて引き返したほうがいいかもしれない。
そう思っていたけど、引き返すことができなかった。
気づけば、辺りは真っ暗で日は沈んでしまっている。暗闇を見通せない私の目では、彼らの元に帰ることはできないだろう。
イヌには「暗くなるまえにここに帰ってくるんだよ」と凄い言い聞かせられた。ウシも帰らないと心配するだろうけど、これでは無理だ。
うっすらと見えた枝に飛び移る。寒さでぶるりと体が震えた。ボッチャンの巣から出てきたときよりもずっと寒いな。
そんなことを考えていたとき、怖気が走った。
誰かに見られている。そう後ろを振り返ると、まん丸い目玉が私を見ていた。
必死で別の枝に飛び移る。さっきまで私がいた枝がギシっと重さで軋む音がする。細い枝だったからばりばりと折れる音もして、私がいたところには大きな鋭利なかぎづめが食い込んでいた。
もし、気づかなければと考える暇はない。
飛び移って、何度も飛んで。でも、もう何も見えない。枝に飛んだはずが木にぶつかってしまって、落ちた。
体のいたるところが痛くてたまらない。転がって土まみれになった。痛みで体が動かせられない。助けて、誰か助けて、死にたくないよ。
瞼が半分しか開かない。足の感覚がない。
まだボッチャンに見せたいものを見せることができていないのに。私は食べられちゃうの?
私を食べようと追ってきたやつが、近づいてくるのがわかる。
真っ暗闇で、私の鼓動が早くなる。
ボッチャンと過ごした日々を思い出した。
そして、ぎゃああと悲鳴が上がった。
淡い光を瞼を通して感じて、私は目を覚ました。
固い寝床に横たえられていた私を心配そうに、覗き込んでいたのは私より小さい生き物で、彼はネズミという生き物の子どもの一匹だった。
彼らが私を助けてくれたようで。どうやってと思ったけど、親ネズミの上の子供たちを見れば納得した。上の子供たちはとても大きい。イヌより、少し小さいぐらいだろうか。彼らなら、あの恐ろしい生き物を返り討ちにすることもできるだろう。
だけど、親ネズミよりも大きいんだけどネズミってそういうものなのだろうか。うん、たぶん、そういうものなんだろうな。
私は死んだと思ったのに生きている。
ソトに出てから私は親切な生き物たちに助けられてきた。
本当に、本当に私は恵まれていた。
恐ろしいものから逃げるときに落としてしまったようで、黄色の花はなくなっていた。
しょうがないなと思ったけど、落ち込まずにはいられなくてしばらく気持ちが塞ぎこんでいた。
ケガを、完全とは言えないけどある程度治して、イヌとウシに会いに行った。
凄く心配してくれていた。うっかりしたウシに踏みつぶされそうになったりした。
綺麗な同族にも会いに行った。彼女は、謝った私に「いいのよ」と笑って、今度は白い大きな花びらが特徴的な花を選んでくれた。
私はソトで出会った生き物たちに別れを告げた。
久しぶりだ。ボッチャンの巣に帰ってくるのは。
見えないものが開いていたので、入る。
「……う、はあ」
寝床で顔を伏せていたボッチャンがゆっくりこちらを見た。
「……え、なんで……」
目は真っ赤で潤んでいて、ぽろぽろと水が体に落ちた。不思議そうな顔をしていた。
ボッチャンが戻ってきていた。戻ってきていたんだ。私は嬉しい気持ちを我慢することができなくて、体調が悪いかもしれないということも考えずに、寝床に降り立った。
ボッチャンの体のすぐそばにくわえていた花を置く。
「これ、僕にくれるの……?」
笑ってほしかった。ボッチャンの嬉しそうな顔が見たかった。
「ありがとう」
水が落ちて私の体も濡らす。ヒトは悲しいときに目から水を流す。
だけど、ボッチャンの顔はとても嬉しそうで、私もまたボッチャンと会えたことが嬉しかった。
あの冒険の後、私がソトに出ることはなかった。
ボッチャンはあの時よりも成長して、親よりも大きくなった。子供が親よりも大きくなるのは、普通のことなのかもしれないな。
ソトにでないのは、ボッチャンと一緒にいたいと思ったからだ。確かに、ソトで生活するのは良いだろうなと思う。同族の彼女の近くに住めば、恐ろしいものに襲われることもないだろう。
だけど、ヒトだって私だっていつ死んでしまうのかわからないんだ。ボッチャンがいなくなって、私が死にそうになってそう思った。私は運よく助かったけど、どうにもならなくて死んでしまうこともあると思う。ボッチャンだって、戻ってこなかったかもしれない。
命があるかぎり、私は一緒にいたいと思った。
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