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 武装せよ、女子高生。タクティカルに。  授業中の僕はそんなことばかり考えている。クラスメイトの女の子たちには、まことに遺憾ながら戦闘経験なんてないのだろう。僕としては、女子高生は可能な限り多くの戦闘経験を積んでいてほしい。その方が素敵だから。たとえばクラス委員長の君島さんは頭一つ抜けて美人である以上、やはり反政府組織で高度な戦闘訓練を受けた戦士であってほしい。そして僕のような根暗男をたぶらかし、人々を解放する英雄として成長させてほしい。あるいは隣の席の河野さんはちょっとオタクっぽい雰囲気のせいでナメられているけど、実は冷徹な殺人マシーンで、夜な夜な「組織」の指令を受けてターゲットを惨殺していてほしい。  そのように妄想する僕にはお察しの通り友達がいない。昔はいたのだけど、クラスが離れたせいで会うことがなくなった。そんな高校三年生である。みんな受験勉強で忙しくなってきたから、独りぼっちの僕をわざわざからかう暇人もいない。何とも現実的なことだ。  僕は両親と同居していないので、早く帰れと叱る人がいない。図書館で暇をつぶして帰ることにいささかの躊躇もない。しいて言うならば飼い犬のチヨを待たせている。遅く帰ったら哀れっぽく鳴かれると思う。チヨが哀れっぽく鳴く声は大変可愛らしい。  三年生でも僕はまだ図書委員である。学内図書館の設備に関しては融通が利く。僕が読みたがるような雑誌は、教育によろしくないので開架には並べられていない。そういう本は閉架書庫にしまわれている。生徒は通常閉架書庫に入れないが、図書委員は出入りできる。人がおらず、狭くて埃っぽい。つまり最高の居心地である。いつもの通り僕はそこで暇をつぶすことにしたのだ。  そして彼女に出会う。 「ありゃ」  僕がその間抜けな声を出すやいなや、彼女は高速で本を閉じた。僕の方を振り向きながら後ずさる。肩が書架にぶつかった。ほこりが彼女の几帳面に撫でつけられた頭髪にこぼれる。肩のぶつかった勢いはやや痛そうだったように思う。  僕は彼女が閉じた本の表紙を見ていた。軍用銃事典、と書いてある。 「お。それ」 「な、なんでもないです」 「…………?」  何がなんでもないのかは不可解である。僕としては、その表紙を見た時点でかなり意外で素敵な事態であった。彼女は図書委員会の後輩で、一年生の新田小夜(ニッタ サヨ)さんである。僕は妄想の都合上、近くにいる女子生徒の名前は可及的速やかに記憶しなければならない。新田サヨさんは犬のチヨと名前が似ているので憶えやすかった。  新田さんは一年生にしては言葉使いが丁寧で、大人びた印象がある。その割に背が小さく、各部パーツも細々しており、プラモデルだったら作り難そうな造形をしている。成績優秀者として名前が載っているのを見た憶えがある。黒縁眼鏡という要素も考慮に入れて推察するに、おそらくガリ勉である。概して大人しい新田さんが、軍用銃に興味をお持ちである。良いぃじゃないか。それだけでも僕はすでに妄想世界の大空に翼をひろげていた。だがそれだけではなかった。  ゴトリと鳴って、何かが落ちた。新田さんのブレザーの内側から落ちたように見えた。  音は無骨で、やや重そうな印象である。新田さんの端正な顔面が見る見る青ざめていく。新田さんの表情変化が面白く、僕は興味を惹かれて、落ちたモノをじっくり観察した。  拳銃である。  書庫は暗いので詳細は見えない。レンコンみたいな弾倉だからリボルバーである。グリップの底部に紐を付けるための金具がある。つまり警察用の拳銃である。警察は銃を奪われないよう、拳銃に釣り紐を付けることになっている。あとはエンブレムとかが見えれば確実なのだけど、残念ながらそこまでは見えない。僕はこの突発的なクイズの制限時間を無意味に定め、ギリギリで回答した。 「スミスウェッソン、M37!」  新田さんがあわてて隠そうとした銃に、僕はビシッと人差し指を向ける。 「……………………?」  新田さんはピンと来ていないようだ。残念。不正解だろうか。  銃火器については学び始めたばかりで、さほど詳しくない。結局僕は銃火器を装備する女の子たちが好きなのであって、銃火器そのものはメインディッシュではないのだ。でも詳しければ詳しいほど当然良い。その方がリアリティのある妄想をできる。 「あの。もう一回言ってください」 「え。スミスウェッソン、M37」 「エム、M、3、7……」  新田さんは口の中で繰り返しながら、本をせわしなく捲っている。例の軍用銃事典である。僕はようやく合点がいった。新田さんも答えを知らないのだ。それで答え合わせのために本を見てくれているというわけだ。僕が勝手に始めたクイズのために、生真面目なことである。 「のってる?」 「……みつからない、です」 「軍用銃というか、護身用の銃だし、のってないかも」 「どの本なら載っていますか」 「うーん。とりあえず、ネットでM37を調べてみたら?」  見比べたら少なくとも、それかそれでないか、はわかる。新田さんはすぐさま携帯端末で調べ始めたが、電波圏外である。悔しそうに歯噛みしている。苛立ちを歩幅に反映させながら、新田さんは僕に詰め寄ってきた。携帯端末の画面を見せられる。 「この書き方で合っていますか」  スミスウェッソン、M37と書いてある。 「うん。合ってる。S&W、の方が良いかも知れない」 「わかりました。ありがとうございます」  新田さんは丁寧に頭を下げた。思えば学校で女の子と会話した最長記録のような気がする。隣の席の河野さんに急に「おはよう」と言われ、僕が同じセリフを返すべきか入念な検討をしている間に別の子と話し始められてしまったときの記録は確実に越えている。 「先輩」  僕は先輩と呼ばれた。先輩と呼ばれたのだ。僕は先輩なのである。 「は、は。はい」  堂々たる返事である。 「ここで見たこと、人に言わないでいただけますか?」 「銃のこと?」  新田さんは表情を引き攣らせる。 「……はい」 「わかった。言わない」  どうせ言う相手もいない。 「ありがとうございます」  新田さんは深々と頭を下げる。女の子のつむじを一日に二度見るのはギネス記録だろう。  ところで、どうも反応が過剰である。いや、僕の女性に対する反応の話ではない。新田さんの、銃という言葉に対する反応である。僕はいぶかしむ。  新田さんの落とした銃を、僕はモデルガンだろうと思っていた。でもよく考えたら女の子は通常モデルガンを持たない。それに、M37をモデルガンとして持つ高校生はやや渋すぎる。たったの五連発で、威力も控えめである。もちろんM37自体は良い銃である。でも僕らのような高校生が憧れるのはやっぱり大口径のハイパワーな銃である。渋い銃を選ぶにしても、もっと有名な銃がたくさんある。あ、これは個人の見解である。見解の相違があっても僕に.38スペシャル弾をぶち込むのはやめてほしい。  僕はある素敵な仮説を立てている。  新田さんの落とした銃が、実銃だとしたら。  どのような経緯で、なぜ持ち歩いているのか。  彼女がそそくさと去る一方、妄想宇宙はビッグバンを経て際限なく膨張していた。
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