過去の私は無鉄砲

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過去の私は無鉄砲

 常に損をしていると親友は私のことを称する。  彼女と出会ったのは数年ほど前の小学校三年生の時であったけれど、時期外れの転校生ということもあったし、あまり口数の多いタイプでもなかった。  先生から言われて甲斐甲斐しく世話を焼いていた人間も、なんのリターンがないことに理不尽にも憤りを覚え、徐々に世話が嫌がらせへと変貌していくまでにはさほど時間がかからなかった。  親友の名前は佐々木乃絵美というんだけど、彼女は同世代の垢抜けない女の子たちと比べ別格の可愛らしさを誇った。髪もつやつやだったし、近づけばとてもいい匂いがするような気がした、私から漂うのはボッチ臭、今も昔も――  そのころからは男子と女子の身体の違いが薄く現れてくる、男子と女子は違うものであると教育を受けていた私も、乃絵美は女子と呼ぶもので、私は女子のようななにかだと思った。  可愛らしい人に嫉妬心を抱くことはままある、なにか追い落とすことはできないかと躍起になった時、無口である、人当たりが良くないというポイントは、いじめっ子からは格好の標的になったんだと思う。    人とは違うという点は、いじめっ子から見れば「いじめるに値する理由」であったろうし、私から見ればまるで理解ができないしょうどうも、当人たちばかりは本気だ。  彼女たちは本気で憤りを覚え乃絵美に対して嫌がらせをしたのだろうし、今となっては彼女自身も「嫌味な女の子だったから仕方ない」と笑うに違いない。  でも、人をいじめるのに良い面はない。  どのような理由があれ、人をいじめるのに許される理由はない。  いじめられる人に理由があるからそうしたのだ、といじめっ子が言っても同調するのはいじめっ子ばかりであろうし、理由があるからと言って人に嫌がらせをして良いものではない。  当時の私は暴力的な手段を持って問題を解決させるくらいしか方法がなかったから、乃絵美を守るために四苦八苦したものだ。  彼女の物が一つでも無くなれば、校内を駆けずり回って探した挙げ句に出てくるのはいじめっ子たちのいじめの痕跡だった、当時は携帯電話にカメラ機能があったから、証拠は一つ残らず保存をした。  それに何より小学生くらいの男女では口に戸は立てられない、ちょっと強めに暴力的手段に訴え出れば、自然と口からは彼女たちの悪行の証拠を吐かせられた、そのときに私が学んだのは、会話はできるだけ保存しておくということだった。  乃絵美への嫌がらせは私の活躍で終息に向かったけど、いじめられる対象になったのが私に転化したというオチもついた。悪行や不備を悪し様に取り上げられれば、そこにいかばかりの正義があろうともケチがつくのは私だ。  それに人の心の悪さは他人には見えないもの。  暴力的手段を理由があって行っている私のほうが、人を悪し様に罵り、不備を指摘し、悪行を羅列するやつよりもよっぽど悪い人間に見えたらしい。  間違っていたとも思わない、私――園原智絵里は叩けば埃が出てくる人間だ、良い面よりも悪い面のほうがよっぽど多い、だから私なんぞを慕ってくれる友人はとても大切にする。  そんな人生を歩んでいたのが功を奏したのか、それとも、たまたま誰かの正義感に火でも付けたのか、憐れ過ぎるせいで同情の一つでも買ってしまったのかはわからない。  乃絵美は智絵里ちゃんが可愛かったから慕ってくれた人が多かったんだよ、そんなおべっかを使ったけれども、とても信憑性が薄い。  美少女から自分よりも可愛らしいと言われれば「そうですよね」と応える前に「そんなわけないじゃない」と言いたくなるのが人間。  ここで「そうですよね、私って可愛いですよね」と面の皮が厚い言い方でもすれば、私はもう少し長い気ができたかもしれない、自分が正しいと思って行動した結果、恨みを買ってワゴン車に追突されたあと、電車に轢かれるというコントみたいなイベントを経た結果、命を落とした私が言うのだから、少しばかり信憑性があると思われる。
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