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第一章
見知らぬベッド、行きずりのホテル。隣に眠る女だけは数年来の付き合いがある。そのことが時々、満たされたことじゃなくて妙なことに思えるあたり、もう末期まできているのではないだろうか。
形代匡臣(かたしろまさおみ)はベッドサイドに手を伸ばして煙草を取り、咥えた。
くさくさした気分と共に紫煙を吐き出す。
ゆっくりと部屋に広がっていく煙をぼんやりと眺めながら思う。
靄がかかったこの部屋は、まるで自分の今の心のようだ。
「起きたの、匡臣」
飯倉結奈(いいくらゆいな)が気怠そうに起き上がり、こちらに眠たげな眼を向ける。
素肌をシーツに絡めた無防備な姿と対照的に、ばっちりとメイクが施された顔。
女の化粧はまるで防具のようだと言ったら、きっと彼女は怒るだろう。
いや、彼女だけではない。どんな女でも怒るに違いない。
「寝ていろよ。退室まであとまだ一時間はある」
「一時間はあるか。私にとっては一時間しかない、だけど」
「身支度が整わなくても平気だ、車に乗っちまえば誰も気にしない。フロントに顔を出さないといけないわけじゃあるまいし、ホテルで出くわす相手にわざわざ気を使うことはないだろう」
現実的な匡臣の言葉に、結奈がふっと鼻から息を零す。細くて柔らかな腕が伸びてきて胴体に絡みついた。
「そうじゃなくって、もっと匡臣といたいって意味」
「ああ……」
そういう意味か。残念ながら、彼女の気持ちに共感することはできない。
言葉を紡ぐ代わりに、匡臣は煙を吸い込んだ。苦みが口の中に広がる。
身体に悪いと分かっていながらもやめられない。ヘビースモーカーというほどではないが、気分がクサクサする時に癖のように煙草を咥えてしまう。
「匡臣、一泊しちゃう?私は平気よ。もう一回でも、二回でも」
「いや、俺は明日、大きい仕事があるからよしておく。腰を痛めて出勤したんじゃ、話にならねぇからな。悪いな」
「いいのよ。クールでがっついていないとこ、昔から好きよ」
大人しく引き下がった結奈に内心ほっとする。
セックスはもう十分だ。一回出してしまえばすっきりして、もうやる気がなくなってしまう。
もう一度愛撫や甘い囁きからはじめて挿入までしなくてはならないとなると、精神的にしんどい。
結奈は他の男みたいな野獣と違う理性的なところが素敵だと褒めるが、それは違う。本当は単にその気になれないだけだ。匡臣にとって結奈と寝ることは、ほとんど自慰行為と大差のないことだ。
「ねえ、匡臣。結婚とか興味ある?」
さらりと何でもないことのように結奈が尋ねる。
匡臣は煙草を灰皿に押し付けると、結奈の横に寝転がった。
お姫様の部屋を連想させる、メルヘンチックな天蓋の薄い桃色のカーテンを見詰める。
「結婚ねぇ。どうだろうな、まだ頭にない」
「そうだよね。私も、まだちょっと先かなって思う」
果たしてそれは本心なのだろうか。彼女の声に淡い落胆が混じっている気がするのは考え過ぎか。
いや、そうでもないだろう。それがわかったところで、自分にはどうしようもない。彼女の期待に応える気は今のところない。
スタイルも顔も性格も申し分ないのに、どうしてこんなにも自分は彼女に対して冷めているのか。
感情を司る回路に異常があるのかもしれないと、時々思う。
「シャワーを浴びてくる」
淡々とした声で結奈に告げると、匡臣はシャワールームに消えた。
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