真実

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「あれから、紫苑さんはどうされてますか?」 「今日も学校を休んでいます。まだ真紅が亡くなって日が浅いですから、立ち直れてはいないようですけど、近々病院で処置を受けることになりました」    安易に良かったとは言えないが、産む以外の選択肢がなくなってしまう前に処置できることになったのは不幸中の幸いだろう。  出産時に亡くなることもあるというのに、望まない子供を苦しみながら命懸けで産むしかないなんて、あまりにも酷過ぎると言うものだった。    しかし、そもそもの原因を作った当人は今頃どうしているのだろう。  気にはなったが、訊き辛い。  白妙さんにとっては、今一番触れられたくないことの筈であるし。    そんなことを考えていると、白妙さんが続けた。 「紫苑の被害を警察に届け出ようかとも思ったのですけど、許嫁の話をなかったことにしてもらおうと思ってあの人の屋敷を訪ねようとしていた矢先、逆にお母様がこちらを訪ねて来られて、あの人が私と屋敷を出てから行方知れずになっていると聞かされました。通っている大学にも顔を出していないということで、完全に行方を晦ませてしまったようなんです」  ああ、やっぱり。  どうせそんなことだろうと思った。    あの人の人生設計は大幅に狂うことになっただろうから、いい気味だと言えなくもなかったが、しかしどうにも釈然としない。  仮にあの人が逃げずに警察の世話になったところで、相応の罰を与えられるとは限らなかったが。    俺が憤然としていると、白妙さんは長い睫毛を軽く伏せて続けた。 「きっとあの人はもう二度と戻って来ることはないでしょうし、届けを出しても逮捕されるとは限りませんから、紫苑の件は伏せておくことにしました。元々紫苑はあまり乗り気ではありませんでしたし、届けを出せば警察の方に事情を説明しなければなりませんから、また紫苑に辛い思いをさせてしまいますし……紫苑に危害を加えようとした人が野放しになっているのは不安ですけど、念のために当面は人を雇って紫苑を守ってもらうことになりましたから、とりあえずは安心だと思います」  流石に裕福なだけあって、一般家庭ではなかなか真似できない対策の仕方だ。  一体いつまで何人用心棒を雇う気なのか知らないが、その辺の家では同じことをやろうと思ってもとてもできないだろう。 「ああいう自己中心的な真似を平気でするような人は、逆恨みで紫苑さんに危害を加えようとしてもおかしくないですし、用心するに越したことはないですね。いっそ、この世のあらゆる苦痛を味わって野垂れ死ねばいいのにと思いますけど!」  俺がありったけの怒りと憎しみを込めて呪いの言葉を吐き出すと、水藤さんが意外そうに目を瞬かせた。 「あら、あなたみたいな人でもそんなこと言ったりするのね」 「そりゃあ、言いたくもなりますよ。いくら何でも酷過ぎますし。あ、でもこういう言葉は言わない方がいいんでしたよね。すみません、気を付けます」  俺が後ろ頭を掻きながら水藤さんに謝ると、白妙さんがくすりと笑みを漏らした。 「個人的には、もっと酷く言って頂いても構いませんよ。もうあの人とは許嫁でも何でもありませんし」 「縁が切れて良かったですね。おめでとうございます」  こういう時に「おめでとう」と言うのも妙なものだが、しかしこれ以上しっくりくる言葉もない気がした。  白妙さん程の女性が、あんな男と結婚するのはあまりにも勿体無さ過ぎる。 「その内、もっと素敵な人とご縁がありますよ」  俺の言葉に、白妙さんは少し複雑そうな笑みを浮かべた。 「……ああいうことがあると、正直もうあまり結婚したいとは思えなくなってしまったのですが、でも心の優しい男性は必ずいますよね。氷上さんみたいに」  白妙さんの言い方は少しも嫌味ではなかったが、先日白妙さんの前で涙を見せてしまったことをまざまざと思い出してしまった俺は、自分が死ぬまで卓子に頭突きを食らわせたい気分だった。 「先日はお恥ずかしいところをお見せしまして……」 「いえ、少なくとも私は嬉しかったです。ほとんど見ず知らずの方が、私達のことで心を痛めて、あんな風に涙を流して下さるなんて、思ってもみませんでしたから……心の傷は簡単には癒えないものでしょうけど、頑なに人を拒絶するだけの人生は寂しいですし、人を信じる努力は怠らないようにしようと思います」  この人は、やっぱり見掛けよりずっと強い人だ。  俺がそう確信していると、水藤さんが言う。 「人に傷付けられた人が、人を信じることを怖く思うのは当然です。でもあなた自身が心から孤独を望んでいないのなら、人を拒絶することはあなたを幸せから遠ざけることなんですよ。人に傷付けられた人が幸せになるために恐怖と立ち向かわないといけないなんて、理不尽な話ですけど、あなたはそのことをわかっている聡明で強い人だから、きっと大丈夫です」  この言葉は、もしかして半分水藤さん自身に向けられたものなのかも知れないと、俺は思った。  水藤さんも人に受け入れられず、人に傷付けられてきた人だから。  それでも水藤さんが言霊使いを続けているのは、きっとこの言葉の通りに逃げることなく、世の中に立ち向かっているからなのだろう。 「……ありがとうございます」  そう言った白妙さんの目は、少しだけ潤んでいた。  白妙さんが帰った後、俺は水藤さんの向かいの席に戻って取材を再開した。  手帖(ノート)の上に鉛筆の先を置いて、水藤さんに問いかける。 「言霊使いで良かったと思う時はどんな時ですか?」 「さっきみたいに、人に『ありがとう』って言ってもらえた時ね。こういう力を持っていると人はどうしても構えるから、なかなか打ち解けて話せる友達もできないけど、それでも私の力を必要としてくれる人がいるから、自分のことを嫌いにならずに済んでるの」  俺は奏多達との会話を思い出した。  取り立てて言霊使いに偏見を持っている風でもなかった二人でも水藤さんを警戒していたし、余程理解のある人でなければ、言霊使いの人と深く付き合う気にはならないのだろう。  こんなに優しい人なのに。  俺は鉛筆を握ったまま、掛ける言葉に迷っていたが、意を決して問いを重ねる。 「……失礼なことを訊きますけど、もしかして水藤さんって今も友達がいなかったりします?」 「ええ」  水藤さんは事も無げに頷いた。  その表情は少しも変わることはなかったが、心なしか寂しそうにも見えて、俺は言う。 「俺で良ければ、友達になって下さい」  水藤さんは驚いたように俺をじっと見つめてから、笑顔で言った。 「改めてよろしくね」 参考文献  宛字外来語辞典編集委員会編(一九七九)『宛字外来語辞典』柏書房.  有澤玲編(二〇〇〇)『宛字書きかた辞典』柏書房.  山本弘文(一九八六)『交通・運輸の発達と技術革新:歴史的考察』    第四章:交通・運輸技術の自立―一九一〇〜一九二一(明治四三〜大正一〇)年Ⅲ道路    デジタルアーカイブス「日本の経験」を伝える―技術の移転・変容・開発」    <http://d-arch.ide.go.jp/je_archive/society/book_unu_jpe6_d05_03.html>(参照は二〇一七年七月二十四日).  「JEMA一般社団法人日本電機工業会」<http://www.jema-net.or.jp>(参照は二〇一七年七月二十日).  「東芝未来科学館」<http://toshiba-mirai-kagakukan.jp>(参照は二〇一七年七月二十日).  「活弁、弁士って?」<http://www.mokuren.gr.jp/a-1.html>(参照は二〇一七年七月二十日).  「写真の中の明治・大正―国立国会図書館所蔵写真帳から―」    <http://www.ndl.go.jp/scenery_top/>(参照は二〇一七年七月十九日).  「明治時代〜戦前の女性の仕事・職業は? 職業婦人の意味と大正昭和時代」      <http://kakeizunotobira.denshishosekidaio.com/2016/07/24/post-1647/>(参照は二〇一七年七月二十日). 「ふりがな文庫」<http://furigana.info>(参照は二〇一七年八月十五日)
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