2「お姫様の出発」

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2「お姫様の出発」

 博多港に入港している『ネオ・プリンセス号』の巨大な船体を間近から見ると、私は久しぶりに興奮した。豪華客船は海を泳ぐ高層マンション。自動車を積み込むタンカーを防府の港で何度も見たが、オレンジの太陽を背に立つ『ネオ・プリンセス号』の勇姿は、お姫様の私を白馬の王子様が城ごと迎えに来てくれたみたいで別格だ。  大きなキャリーバッグを左手でゴロゴロ引きずり、右腕に使い慣れた小振りのハンドバッグのハンドルを通し、冬場の港を歩く。10代の頃からお気に入りの白のロング丈のニットワンピースに、黒タイツ、カーキ色のロングコートを寒さ対策で併せた。黒のブーツは履き易くて歩き易い、靴底が薄めの物。ハイヒールは自分が掃いた姿を鏡で見ても足が長くてカッコいいと思えるが、歩き難いし、ケガすることもある。私は身長164㎝あって背の低さを意識することは少ないので、靴は履き易さを重視する。  そう云えば、自動車会社に居た頃に付き合っていた彼氏と別れて以来、ハイヒールを履いたことが無い。  わざわざ両親が防府から来てくれて私を追う。父は衣類やバスタオル、私の肌質に合うシャンプーやコンディショナーなどが入るトランクケースを運んでくれた。母は重い荷物は持たないが、これから200日の船旅へ行く一人娘を思いやっているのが、時々振り返って顔を見れば分かる。  お母さんには長生きして欲しい。  ネオ・プリンセス号の出入口付近、港と船を結ぶ小さな舷梯(タラップ)まで辿り着いた。乗客以外は船に乗れない。両親とは此処でお別れだ。 「夏帆ちゃん、気を付けるのよ。外国は日本より危ないからね」 「うん、ありがとうお母さん」 「夏帆、変な男に引っ掛かるなよ」 あんたが変な男だよ、お父さん。  私は受付の船員にチケットを見せ、ボーイに荷物を託し、舷梯を渡って乗船する。  もう、私はお姫様。  私の部屋はベランダ付きの20平米。ダブルベッドだが、一人で使用する。スイートルームに比べれば狭いのに、二人分の料金を払ってまでキャンセル待ちの二人部屋を抑えた経緯があるので物凄い贅沢をしている気がして、お金を払えた自分が誇らしい。  年始のテレビ番組を視て、世界一周の旅を計画したが、まさか今月中に世界一周旅行が実現するとは思ってもいなかった。興味を持った私は早速スマホで検索して、見積もりや相場を調べた。自分が住んでいる福岡の博多港か、関西の神戸港から出港するクルーズを探し、ダメもとでキャンセル待ちの世界一周ツアーの船に申し込んだ。参加出来る知らせが来ると、パスポート申請や料金の支払い、ツアー会社との打ち合わせなどで正月休みに似合わずバタバタしたが、あっさり世界一周の旅を実現した。  私はロングコートを脱ぐと、ダブルベッドへ大の字でうつ伏せに倒れ込み、白い羽毛布団を恋人にする。羽毛のやわらかさと弾力、ほのかな温もりが気持ち良い。  程なくして出航時間が迫る。  荷物を部屋に置いた私は、港で一人娘を見送る両親に顔を見せるべく、港側のデッキに姿を現す。LINEで連絡を取り、外に出て来たことを母に伝えると、両親は米粒より小さいに違いない私の姿をすぐ見つけた。お互いに大きく手を振った。  黄昏時の夕日に染まった微小の両親を見下ろしていると、両親と過ごせる時間も限られているように思えて、涙腺が少し緩んだ。
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