テン1

1/1
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/7ページ

テン1

平安時代後期、関東平野は第一期とも呼ぶべき「開発・開墾」機運が盛り上がる。中央の貴族や豪族が東国へ進出、土地を開墾し、「荘園」を開発する。関東平野でも海や川に近い気候条件や地理的条件の恵まれた土地から開墾され荘園が増える。中央からの荘園領主だけでなく、在地の豪族らも競うように荘園開発が進んでいった。  荘園が拡がるにつれ、領主は荘園を守るため自衛団を形成していく。これが武士の起こりとなる。  しかし、関東平野でも山に近い奥の地方ではまだ人家もない広大な荒野が広がる地域もあった。  その獣は夜の荒野をただ走る。岩と砂利、所々に疎らに灌木が生えている程度の餌となる小動物を見つけるのも困難な荒れ地を、低く昇る満月を競うかのように疾走している。  獣は狼と呼ばれる種族である。ただ他の狼より一回り大きな体躯、黒色が勝った毛色、白銀に見える一部の被毛が月に照らされ、白銀の筋を付けるかのように煌めく。 (やはり、全力で走るのは気持ちがいい)  定期的に主だった者を連れ縄張りを一回りする。人間の多く住む場所に近い所から東の海辺、各地の群れの様子を確かめつつ、内陸へ戻りながら北上する。いつもこの当りで連れてきた者たちは先に帰す。 「我は北の山の神へ伺ってから帰るから」と。  我は天狼王、この平原のすべての獣の頂点である狼一族の長だ。他の狼より大きな体、力、長き命、そして普通の狼では知りえない理を知る。それが北に御座す山の神によるものかどうかは知らないが、我の父も祖父も天狼王であった、多分子が生まれることがあれば、その子は次の天狼王になるだろう。  他の狼より力が強いせいか、時々無性に全力を出したくなる。そんな時、見回りにかこつけてこの荒れ地をただひたすら全力で駆ける。何もない、木々も、獣も、面倒な人家も。所により水の流れていない川があり、その砂利だらけの川底を走り抜ける時、自分が一陣の風になったかのように感じるこの時が楽しい。  一瞬ほほを撫でて行った風に温かみを感じ、ふと立ち止まる。砂利と堆積物で小高い丘になっている所に移動し、毛づくろいしながら一息つく。  今日出会った、人の子どものことを思い出す。今いる荒野の南東へしばらく走った所、丁度荒野の始まりになる辺りに人の集落がある。小さな山裾の森で、他の者と狩りと食事のあと、皆を先に帰して、そろそろ荒野へ向かおうかとしていた時だった。  この我、天狼王に弓を引く馬鹿な人間の子どもがいた。  ヒュン、ヒュン、二本の矢が我の横を掠めた。狙いはや威力は全く駄目であるが、連射のスピードは良い。即座に一駆けで、木立の奥から弓を引いたばかりの格好の七・八歳ほどの子どもの足元へ入り込み、威圧を込めて、咆哮する。 「ガゥォオー!」 「うっわぁー」驚いて、後ろへ飛びずさりながら尻もちをつき仰向けに倒れる子ども。  その腹に前足を掛け、低く、唸る。 (この天狼王を狙うとは、どういう了見だ!) 「ご、ごめん、ごめんなさい、・・・俺、ま、まずいから・・お願い、食べないで・・」 (食べるか、こんな小さくて、細くて、まずそうな人間、元々我は人間を食べん) 「えっ、食べない、噛まない? ごめんなさい、俺、弓なかなか上手く獲物当てられなくて、血迷って・・狼さん、狙ってしまって・・・」 「ああ、確かにへたくそだな、どんな名人だろうと狼に弓を引く人間はいないぞ」 「やっぱり、俺へたくそなんだ」 「あんっ?」 「えっ?」  我の前足に抑え込まれながら意気消沈の子どもが不思議そうな目で我を見る。  我も子どもの顔に鼻を近づけ、覗き込むように子どもの目を見る。  どうも、この人間と会話、というか意思疎通が出来る・・・ようだ。  もちろん、狼と人間に会話が成立するはずもない。たとえ我が天狼王だとしても・・・無理なはずだ。  押さえていた前足を下げ、一歩下がり、子どもを観察する。  直垂に袴、弓籠手に背中に矢筒、腰に短剣を差している。七・八歳の子どものようだが、着ているものは悪くない。この森の南の里に、地元の豪族が開墾した荘園がある。その豪族の一族の子だろう。ただ、手足がやけに細く、あまり栄養状態は良くなさそうだ。  起き上がった子どもは、怯えているのか、腰は引き気味だが、真っすぐに我を見て、 「お、俺、与一、那須与一崇高っていう。この南、神田城の城主の子どもだ」 「我は狼一族を束ねる天狼王だ。そうか、城主の子か、その割には痩せているな、まずそうだ」  ひぃ、と小さな悲鳴を飲み込み、与一はさらに後ずさる。まあ、あまり子どもをいじめても仕方ないか。木々の間の陽だまりを差し、そこへ座れ、と声を掛けて、我も寝転ぶ。  与一とは、十あまる一、十一男を意味する通称らしい。人の雌は一度に一人か二人しか子を産まない。また生まれた子とて無事に成長するとは限らない。武力、財力ある人の雄であれば、数人の雌に子を産ませることは良くあることだ。  与一の母は薄弱の質だったようで、与一が三つになる前に亡くなったそうだ。与一も母に似たのか、病弱であり、故に同じ子どもの中でも重きを置かれていない。とりあえず最低限の面倒は見てくれるが、後は放置されている状態だ。  しかし、与一は、性格は、芯は、意外と強い。小柄で力がないから、太刀では他の兄弟に勝てない。いくらか敏捷なことを生かして、弓の腕を上げようとしたようだ。  この所、この荒野で兎を中心に追っていたが、うまく行かず腐っていた。思わず、大物狙いで我に矢を掛けてしまったと・・・ 「良かったな我で、猪だったら、一の矢を外した途端、突撃されて、与一、終わっていたな!」  青い顔をして、震えながら、 「狼で良かった、というのも変だね。どうしたらうまく狩れるようになるのかな。稀には兎を狩れることもあるんだよ」  人が武器を使って戦ったり、狩ったりする時も、我ら狼が獲物を狩るときも同じことだ。 「与一よ、兎とて生きている。兎が動かずにいれば、当たることもあろう。しかし生きている者は動く。では、どうする。与一は兎のことをどれ程知っている? 鹿のことを、猪のことを、相手を知らずしてどうして狩れる? 相手の動きが読めねば狩れないぞ」  与一は、真剣に我の言うことを聞いているようだ。 「兎だったら、兎のことをもっとよく知る、ということ? そうすれば動きを予想して矢を放てばよく当たるようになる、かな。難しいけど、やってみる。ところで、狼の名前は?」 「我らには個々の名前はない、というか必要ない。それぞれの者はちゃんと識別できるし、意思の疎通も問題ない」 「でも、人はそう行かないな、名前がないと呼びづらい」 「人とは面倒だな、我のことは好きに呼べばいい」  人とは面倒なものだ、しかし与一は嬉しそうな顔をして、 「俺が決めていいの? え~とね、じゃあ、『テン』でいい?」 天狼王だから『テン』か、安直な気もするが、悪くない。と思ったら、無意識にしっぽが揺れていた。 「ま、まあ悪くないな、これからそれでいいぞ、我は満月を挟んで二・三日、この荒野にいる。次もいたら、狩りのやり方をもう少し教えてやろう」  人の子を相手に、何、余計なことを、と自分でも思う所もあるが、人の子だろうが狼の子だろうが、子は子だ。我ら狼は子は襲わない。見逃した子が大きなって大人になれば、狩りの対象にもなるがな。 「ほんと、分かったテン、それまで良くうさぎやシカの動きを見る!」 嬉しそうに与一は微笑む。  それから二・三度、我は与一と荒野で狩りをした。与一は助言を素直に聞き、努力することが出来る人間だった。我がいない時も、生き物たちの動き、生き方のあり様を良く観察していたようだ。人が武器を使い獲物を狙う時も、我ら狼が獲物を狙う時も、同じだ、ただ動きを見据え、予測し、急所を突く、ただそれだけだ。与一は瞬く間に弓の腕を上げていった。兎やすばしっこい(いたち)あたりをうまく狩れるようになっていった。  また捕まえた獲物をその場で捌き、火を起こし、焼いて食べることも覚えた。我らは生で食べるが、焼いた香ばしい肉もうまいものだ・・・。残りの獲物を持ち帰ると、家の者に喜ばれ、家でも居心地が少し良くなったそうだ。  大物を狩るには少々力不足だったが、ちゃんと食事をし、荒野を走り回るうちに、痩せこけた体に徐々に筋肉が付き、青白い顔は適度に引き締まった健康的な顔へと変わっていった。  ある夜、水無川の向こう、低い丘陵の、この荒野では数少ない獲物が豊富な森を前にして、我は与一に聞いた。 「与一、我の『目』を貸してやろう」 「どういうこと、それ?」  不思議そうに我を見る与一に、説明する。 「我は、我の『目』の一部の能力を貸し与えることが出来る。『目』は狩ろうとする相手の動き、急所、果ては周囲の状況すら読めるようになる、狩りの命中力、威力が格段にアップする」  それは、すごいね、とつぶやきながら、考えるそぶりの与一は、心配そうに、 「でも、それって自分の力じゃないよね、それに『目』を貸しちゃって、テンは大丈夫なの」  何よりも我を心配する与一に、思わず尻尾が揺れる。 「心配ない、もともと若い狼の訓練用だ。『目』で体験したものは、徐々にその体になじんでいく。いずれその『目』を返しても、自分自身の力となる。訓練用だから貸したとて我には何の影響もないぞ」  与一は、今度は目を輝かせて、 「だったら、借りようかな」 (もっとも、今まで人間に貸したことはないがな) 「じゃあ、与一、あの月を見つめろ、そしてゆっくりと目を閉じろ」 森の頂上で、荒野を照らす満月に向かって、我は細く、長く、吠え術を唱える。 「ゆっくりと目を開けてみろ」与一に声を掛ける。  目を開けた与一は、何度が目を瞬いて、また片目を瞑ったりしている。 「何か左目が変だよ、物が二重にみえるような」 「そうか、安定するのに2・3日かかるだろう、その間は狩りをしても無駄だ、家で静かにしてろ。正常に見えるようになったら、小物から狩りを試して見ろ、また次の満月が近づくこと来るから」 普 通、『目』の効用は与一に言った通りのだった。今回与一相手には少々違ったようだ。与一に貸した『目』を通して、与一が見ているものが、我の頭に響いてくる。  目が安定した後の、与一の狩りの腕は段違いに上がっていった。小物だけではなく、猪や鹿まで、時には一矢で仕留めるようになっていった。  次の満月、荒野の中ではなく、与一の住む集落に近い森で狩りをしつつ、与一にそのことを告げた。与一は驚いた顔をする。 「えっ、でも俺はテンの方、見られないのは、ずるいなぁ、あっ、じゃあ、昨日のことも知っているんだね」嬉しそうに、与一が聞いた。 「知っているぞ」嬉しそうな与一に、我の尻尾も揺れる。  昨日、与一の父、那須資隆の神田城で、騎射比べが行われた。時々行われており、夜の宴会の前座的位置づけと、日ごろの鍛錬を披露する場となっている。  最近急激に弓の腕を上げている与一は、父より兄十郎とともに、笠懸騎射に出るよう命じられた。一族郎党の集まる中で十郎と与一という幼い方の息子を出すという父親の決断もなかなかだと思う。そういえば与一は痩せこけていたので七・八歳と思ったが、間もなく十歳になるという。十郎は二歳上だ。一族の弓自慢が参加する中、十郎と与一の参加は、集まる者たちには宴会前の余興と思われたようだ。  笠懸は、馬を走らせる長い直線の馬場から、遠く離れた所に建てた木枠に紐で三点留めし吊るした的を中てる遠笠懸。遠笠懸直後、馬場を逆走し、地上から低く置かれた、小さな木製板を竹棹に挟んだ的を中てる小笠懸を行う。  この荒野には独特の風が吹く。昨日の夕刻にはまだ満たないころもやはり風が吹いていた。特に遠掛けの的は揺れ動き不安定で、弓自慢の家臣たちもてこずる中、二度の演武で与一は遠笠懸も小笠懸も見事射抜いた。十郎も一度は両方とも射抜いたが、二度目は遠笠懸を外してしまった。  幼い者たちの意外な成功に周囲が沸いたのは言うまでもなく、気難しい父の資隆も手放しで賞賛した、当然そこには他の兄たちも居並ぶ中で。 「良かったな、どうりで今日はいつもより良い服を着ているようだな」 我は尻尾をゆらゆら揺らしながら言うが、与一は少し難しい顔をする。 「俺はテンの『目』を借りているから・・・、だから十郎の方がすごい、十郎は自分の力だ」 「お前は十郎と二つ離れている。しかも与一は元が薄弱で体力、筋力が弱い。今は『目』の力を借りているように思うているかも知れぬが、今の十郎と同じ年になる時には、遥かに力をつけているだろう」 「分かっている、そうなるよう努力する」迷いなく自分の進む道を見つけた子どもはすっかりした眼差しで言った。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!