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黄泉へと誘う神の酒 第1話 上坂涼のターン_途中まで
黄泉へと誘う神の酒 第一話
上坂 涼のターン
静岡県の海沿いに栄える薬所(やくじょ)町(ちょう)。
薬所町を見下ろすようにそびえる恩納山(おんのうさん)には、喜代島神社という町の中で一番大きな神社がある。
神社では夏になると厄除け祭という祭りが三日間盛大に行われる。
日本の伝統を重んじている古風な厄除け祭りは、雅な外観も相まって、テレビの取材が毎年来るほどの人気ぶり。
――しかし。今年の厄除け祭は、これまでとは違う姿になろうとしていた。
厄除け祭り当日。午前十時。
町の集会所を兼ねている社務所にて、祭りを運営する関係者達による打ち合わせが行われていた。
「……で。本当に考え直しちゃくれないんですかね、奥ヶ谷さん。あの催しは厄除け祭の静かで風情ある空気をぶち壊しちまいます」
運営役員の一人。肉屋の長谷川が声を挙げた。奥ヶ谷(おくがや)さんと呼ばれた女性は、上座から首を横に降った。
「申し訳ありませんが……もう決まったことですので」
喜代島神社の宮司をしている奥ヶ谷水月(みずき)は、由緒正しき厄除け祭で、音楽ライブを決行しようとしていた。彼女が神社の総責任者である以上、最終的な決定権は彼女にある。周りはやめた方が良いんじゃないかと諭す程度で説得するしかない。
今度は乾物屋の染野が手を挙げる。
「水月ちゃん。いったい何があったんだい? あんたは小さい頃からこの神社が大好きだったろう? そんなあんたが神社の格を落とすようなマネをするなんて、あたしは信じられないよ」
「……ごめんなさい。染野のおばあちゃん。でも若い子たちが楽しみにしてくれてるのも本当だから」
柚(ゆ)月(づき)は膝の上で両手を強く握りしめた。
水月の息子である柚月は、この神社に舞を奉納する役割を持っているため、役員の一人として打ち合わせに参加していた。
厄除剣舞『閃剣禍祓いの儀』。喜代島神社の祭りで毎年行われてきた厄除けの儀式である。この剣舞こそが厄除け祭の要と言っても良い。この剣舞で人の厄を払ってこその厄除け祭なのだ。
「まあまあまあ。みんな落ち着いて。水月ちゃん困ってるしょー?」
と、きつく口を結んで皆の説得を聞いている水月の前に、一人の男が立ちはだかった。床に腰を下ろして会議に臨んでいる皆は、必然的に彼を見上げる姿勢になった。柚月が披露する剣舞の会場を隅っこに追いやった張本人である。
――その名も藤枝(ふじえだ)アラタ。
芸能事務所『ハッピー・ソングス』に所属しているミュージシャンで、その界隈では有名な人物らしい。
「みんな。クゥゥゥゥルダウン。オーケー?」
「ふ……ふざけんなこのやろう!」
「バカにしやがって! 表出ろコラ!」
電気屋の田辺と修理屋の久保田が勢いよく立ち上がり、アラタへと掴みかかった。
「おやおや。血気盛んだこと!」
今年は、部屋を逃げ回っているこの金髪頭が祭りの目玉だと言う。拝殿前の大きな広場で代々披露してきた厄除けの儀式を隅っこに追いやり、代わりに拝殿を覆い隠すほどの巨大なステージを設営して音楽ライブを行うという。
そんなバカな話があるかと。一週間ほど前、柚月自身も水月に抗議をしたが「ごめんなさい。でもどうしてもやらないといけないの」と一蹴されてしまった。
アラタの後輩と称する二人の男に、田辺と久保田が組み伏せられる。それを尻目にアラタは高らかに笑った。
「ははは! 祭り当日だというのに、皆さん本当に強情ですねぇ。いいですか? 一週間前に“今年は音楽ライブをする”というチラシを町中にバラまいたことは知ってますよね? その後のツイッターでの反響知ってます? なんとその数、一万リツイート超え! コメントも喝采の嵐! ヤバすぎっしょ!」
「なにが言いてぇんだよ」
床に頬を付けたままの田辺が、金髪頭を睨みつけながら言った。
「え、こんだけ言っても分からないの? あんたら全員時代遅れってことだよ。そりゃクソほど退屈な舞を眺めるより、音楽で一緒に盛り上がった方が楽しいっしょ。それをこの町のみんなが支持してんの。あんたらが知ろうとしない世界で」
アラタの演説を聞いて、皆黙り込んでしまう。
――ちがう。
柚月は唇を噛み締めた。
厄除け祭は古風で趣があるからこそ良いのだ。人の言葉に耳を傾けて変わっていくことも大切なのかもしれない。でもそんなの、他の人達がやればいい。僕らが他と同じになる必要は無いんだ。
「で、宮司様は古臭いのと新しいのどっちが良いんだっけ?」
「……人の声を聞き、柔軟に変化していくのも大事なことです」
「ほぉら! 水月さんもこう言ってるんだよ? 物分りが良くて素敵!」
アラタは嫌味たらしく掻きあげた。
「で、あんたらはいつまで自己満足に浸るつもりなのかな?」
「……ッ!」
柚月は思わず立ち上がり、社務所の外へと駆け出した。誰も彼の背中に声をかける者はいなかった。母である水月でさえも。
社務所前の参道を跨いだ向こう側。社務所に向かい合う形で手水舎が建てられている。その手水舎の傍に植わった桜の木に、柚月は背中を預けていた。社務所を見つめる眼差しには物憂げな感情がありありと浮かんでいる。
――由緒正しい厄除け祭りの『剣舞』がおまけだとは。
「……来年から県外の大学に行くかもしれないというのに」
誰かに言うでもなく、独りごとを言う。
「もし行くとなったら、こんなわけのわからない厄除け祭りが最後になる。そんなことってない」
社務所からガヤガヤと人の声が聞こえ始めた。
打ち合わせが終わったようだ。続々と社務所から人が出ていく。
悪あがきに、もう一言だけ母に言ってやろう。
そう思い、母が社務所から出てくるのを待つも、一向に母が出てこない。
――変だな。
と、社務所の販売所前でアラタと母の愚痴を言っている田辺と久保田が目に留まった。
柚月は二人に歩み寄り、声をかける。
「お母さんは? もう打ち合わせ終わったんだよね」
「ああ。まだ水月さんと話があるからとかで、金髪頭が引き止めていたな」
「……それより、柚月くん大丈夫か? せっかくいつもあんだけ舞の練習してるっつうのに――」
「いえ……大丈夫です。母にも何か考えがあるんだと思いますので。どうもありがとうございました」
柚月は久保田の言葉を途中で遮り、その場を後にした。そしてすぐさま社務所の入り口側へと回り込む。
「……で…や……ら」
引き戸の先からアラタの声らしきものが聞こえてきた。
柚月は中の二人に気付かれないよう、引き戸を静かに開ける。
「水月ちゃんさぁ。もうちょっとジジババ達の統率取れないの? うぜぇこと極まりなかったわあ」
集会所を兼ねられるだけあって、社務所の中は十六畳の大部屋になっている。
柚月はそのだだっぴろい部屋の最奥で、正座をして向かい合っているアラタと水月の姿を見た。
水月は俯き、アラタはこちらに背を向けている。幸いにも、柚月のいる入り口側に二人の視線は向いていない。
アラタの両脇には田辺と久保田を床に押さえつけた後輩が、同じくこちらに背中を向けて座っている。
突然、アラタが身体を折り曲げて肩を揺らした。笑っている?
「あのさぁ。自分の立場分かってるんだよねえ? そういう……なんていうの? 八方美人? どっちにも良い顔するような半端な態度取らないでくれないかなぁ」
水月はひたすらに口を結び、俯いていた。アラタの小言をただ黙って聞く姿勢のようだった。
「旦那がクスリをやってるってこと知られたくないよねぇ?」
柚月は背筋が冷たくなった。
――今、あの男、なんて言った?
「うちの組織が拘束している以上、逃げ出す可能性なんてこれっぽっちも無いからね? 君の旦那を生かすも殺すも、うち次第なわけ。まあ俺は殺したくないけど」
――組織? 父を殺す? なんだ、なにがどうなって……?
父は薬所町で喫茶店を営む親友と一週間の沖縄旅行に行っていたのではないのか。
「ああそれと。水月さんには従順になってもらいたいから、一つニュースね。旦那さんと一緒に捕まえた男の人だけど、うちの部下がクスリ使いすぎて死んじゃった」
「そんな! 鷹尾さんが……」
水月が弾かれるように顔を上げた。その顔は遠くにいる柚月が見ても、悲しみと苦しみに満ちていた。
「……ほんと生命を奪うとか信じられないよね。神様から与えられたものだってのに」
人を小馬鹿にした振る舞いばかりのアラタが、珍しく声色を険しくした。
人の命を奪うことが嫌いなのだろうか。ここまで物騒なことを楽しそうに述べている人間が……。
「ま、そういうことだから」
ぱっとアラタの声色が戻る。それから何事もなかったようにあっけらかんと笑い声をあげた。
「ははは! なんつう顔してんの水月さん。旦那さんはまだ生きてるんだしさぁ。ほっとするところでしょ? ちゃんと旦那さんを返して欲しければ、もっと楽しそうに振る舞ってよ。じゃないと水月さんのことみんなが心配するじゃん。ヘタに勘ぐられて余計なことされても困るしさあ。お願いだからこっちの都合も考えてよ。ね?」
水月はゆっくりと俯き、一言つぶやく。
「……わかりました」
「ま、帰ってきたところで無事じゃないかもしれないけどねえ。あのクスリやばいし」
柚月は扉から飛び退き、駆け出した。
正直、突飛な話ばかりが飛び込んできて、何がなんだか分からなくなった。
――お父さんがクスリ? 親友が死んだ? 組織ってなんだ? そうだ警察。
柚月は交番へと走った。携帯はあるが誰に聞かれているか、見られているか分からない。
アラタは“組織”と言っていた。誰が味方で敵なのかも分からないのだ。
それにクスリを扱うような組織だ。ヘタすると母や町の皆の身が危ないかもしれない。このまま山を降りて、町の交番まで向かった方が良いはずだ。
そう考えをまとめた柚月は山を全速力で下る。
「おう。奥ヶ谷んとこの坊主じゃねえか。そんなに急いでどうしたんだ」
と、すれ違いざま何者かに腕を捕まれ、引き止められた。男の声だ。
こんな急いでいる時にどこのどいつだ。……まさか組織の人間? 様々な感情が心のうちで飛び交い、動転している柚月の腕が強い力で引き寄せられた。すぐさま両肩を掴まれて、前に向き直される。
「おい。大丈夫か」
柚月の視界に入ってきた顔は、彼がよく知っている顔だった。
「玄(げん)柳(りゅう)さん」
「どうした。様子が変だぞ? 何かあったのなら言ってみろ」
柚月は迷った。
篠崎(しのざき)玄柳は陽明寺の住職である。奥ヶ谷家とは古くからの付き合いであり、両親とも親しい。柚月自身も懐が深く、男らしい玄柳のことを小さい頃から尊敬していた。とても信頼出来る人だ。
……だが、この人を巻き込んでしまって良いのか。
「柚月。何かあったんだろ? 教えろ」
玄柳の瞳の奥がギラリと光る。頼れる反面、気難しくて頑固者。ここまで来ると嘘は通じない。
――それに。やっぱり玄柳さんが味方になってくれるのはとても頼もしい。
柚月はしばし迷ったが、詳細を打ち明けて助けてもらうことにした。
玄柳は柚月から話を聞き終えると、腕を組んで唸った。
「実は俺の方も物騒なことが起きていてな」
「え、何があったんですか?」
「寺から妖冥(ようめい)酒(しゅ)が盗まれた」
「え!?」
玄柳が住職をしている陽明寺も、喜代島神社と同じく歴史ある寺で、代々『妖冥酒』という酒を守っている。玄柳はその三十五代目らしい。
なんでも妖冥酒は、古事記に登場する『イザナギ』が、黄泉の国から密かに持ち帰ってきた黒い芋を元にして作った酒だとか。妖冥酒を飲むと黄泉の国に行けるだとか。篠崎家は代々、その妖冥酒を使って黄泉の国と交渉したり、生者と死者を一時的に繋いだりだとか。あまりにも荒唐無稽な話ばかりで柚月自身、その内容を信じてはいないが、妖冥酒が代々とても大事にされていることだけは知っていた。
「そんな大切なものが盗まれたなんて……一体どうして」
「さあな。だがお前の父親が攫われた件と、妖冥酒が盗まれたことには何か関係があるかもしれない」
玄柳は懐から携帯電話を取り出し、警察を喜代島神社に手配するよう寺の者へと連絡を取った。
「祭りが始まる時刻。つまり昼の十二時になったら警察へと通報するように頼んだ。俺が呼んでも良いんだが、事情聞かれたり、立ち会ったりで拘束されたら敵わんからな」
そう言って、玄柳は携帯をしまう。
「腑に落ちていない顔をしているな。なぜ今すぐに警察を呼ばないのか……だろ?」
柚月は不安げに頷く。玄柳は腕を組み、考え込むように俯いた。
「万全な警備を敷いていた本堂から妖冥酒を盗み出し、剣の世界で名を馳せているお前の父親を攫うような者だ。どちらも生半可な人間には出来ない。
そしてこれらの事件が起こった時期はほぼ同時。そこから見ても、お前が言う組織は巨大で統率の取れた動きが出来る質の悪い連中の可能性が高い」
玄柳が頭を持ち上げ、柚月を真っ直ぐに見る。
「統率の取れる組織ってのは、統率を取る必要があるから、統率を取るんだ。要するに任務を遂行するにあたって、無茶をしないために統率を取る。
……たとえば。表向きは有名な政治家だとか、企業だとかな。悪事の痕跡を残してしまうとマズイ奴らなのかもしれない」
そこで玄柳は一呼吸を置いてから、静かに口を開いた。
「前置きが長くなったな。つまり俺たちは祭りの客を装って、連中の尻尾を掴む必要があるってことだ。警察が来るまでにな」
柚月は玄柳の次の言葉を待つが、意味ありげにこちらを見つめるばかりだった。
やがて玄柳は痺れを切らし、白髪交じりの頭をワシワシと掻いた。
「で、どうする? お前も付いてくるか?」
赤い鳥居をくぐると、祭りの音と匂いがやってくる。
賑わう人々の声が行き交い、左右にぎっしりと並んだ屋台からは美味しい香りが漂ってくる。
参道の両端には、人の頭を超える高さの竹柵が作られており、道に沿って境内の至るところまで伸びている。竹柵には六段にも渡って提灯が吊るされており、それらは縦横、等間隔で並んでいる。そうやってずらりと伸びた提灯の道は、道行く人の心を踊らせた。日が傾き、提灯が灯れば、さぞ美しい景観になるだろう。
午後十二時。祭りが始まるとともに、喜代島神社は人で溢れかえった。例年よりも一・五倍ほど人が多い。
その大半は、毎年祭りに訪れている人々とは異なる格好と気質を持っている者ばかりであった。ピンクや緑などの奇抜な色に髪を染めている者、露出の多い服を着た者、大声で喧嘩をする者、神社の所有物にイタズラをする者。
来る者拒まずの祭りではあるが、これまでは暗黙の了解で、祭りに訪れる側も礼節を持ち、和を意識した服装や見た目の者ばかりだった。
「……なんてことだろう」
染野は顔を覆った。
「お前らやめろ!」
久保田が騒動を止めに向かう。田辺は染野の隣に残り、腕を組んだ。和と洋が混ざりあい、歪なものに成り果てた厄除け祭を遠目から眺める。
「主催者側が、くだけた提案をしちまってるからなぁ。来るべくして来たとしか言えねえわな」
「この祭りも時代の変化に淘汰されてしまうのかねぇ。あたしゃ……イヤだよ」
田辺は顔を覆ってすすり泣く染野を横目に見ることしか出来なかった。やるせなさに胸が詰まって、黙って俯く。
「水月さんよ……本当にこれで良いのかい? この光景を見て、旦那さんがどう思うかぐらい分かるだろうに」
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