12人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ
記憶の匂い
大人になってわかった。
なぜ夏休みなのに僕と遊んでばかりだったのか。高校には友達も彼氏もいたはずだし、部活もやっていたはずだ。
どうして急にいなくなってしまったのか。両親含む大人達は何も教えてくれなかった。
最後に見た彼女、唯一覚えている首元の濃い化粧。あれは何だったのか。
全てがたった一つの事実に収束する。
彼女は自殺したんだ。
僕の前ではいつも、いつでも笑顔でいてくれた彼女は、自室で一人ゆっくりと病んでいた。
その事実に気づけなかった自分を悔いた。己を謝罪して責めて侮蔑して、死のうかと思った。
でもその刹那、あの匂いが僕の鼻に届いた。
うだる暑さの日々をひたすら遊んで過ごしていると、必ず隣から香っていた美味しい匂い。
横を振り返ったら、
「大丈夫。私が側にいるから」
涼しげな声が鼓膜を潤した。
失われた記憶のピースが復元され、暖かな表情と穏やかな眼差しが僕を柔和に抱きしめた。
枯れたはずの涙が滲み出た。
心はこれほど近くにいるのに、彼女の存在は遠く儚い。
でも彼女は僕が辛い時、苦しい時、困った時に物音一つ立てずに現れてはそっと支えてくれる。
丁寧に真心を込めて作られた、パンの匂いと一緒に。
最初のコメントを投稿しよう!