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突然触れた淡い温もりと、女子特有の柔らかさに思わず胸が高鳴る。これくらいで動じるなど、俺もまだまだ未熟だと心の中で溜息を吐いて、彼女に視線を戻す。
「なに?」
「貴方、ここに来るまでのこと、何か覚えてる?」
「ここに来るまで? そりゃもちろん――……」
その続きを紡ぐことはできなかった。当たり前だ。頭の中が空っぽだったからだ。
思い返すが、目覚めるまでの記憶が一切無い。どこで何をしていて、どうして意識を失う羽目になったのか。ここ最近何をしていたのか、何も思い出せない。あらゆる記憶というものを、そのままどこかに落としてきてしまったみたいだ。
記憶喪失。
その文字が浮かぶが、それにしては残っている記憶は多々ある。自分の名前も、家族の名前も分かるし、趣味や一般常識もしっかりと脳に刻まれている。
だが、今まで何をして過ごしてきたのかが何も思い出せない。普通の生活を送っていたという感覚はあるが、その詳細までは何一つ思い出せなかった。
「やっぱりね」
「……どういうことだよ」
「安心して、みんなそうだから」
「皆って、集団で記憶喪失になるものなの?」
「そうじゃないわ。でも、これは『常識』なの。至って普通のこと。だから心配する必要もないし、何か不安を抱く必要もないわ」
手を離しながら、夕凪が読み聞かせでもするかのような声音で言う。
不思議だ。
彼女にそう言われると、それが当たり前のように思えてくる。いつの間にか覚えた言語のように。そんなはずはないのだが、俺が記憶を失ってしまったことは特殊なことではないと心のどこかで思った。
「繋くんは、たぶん事故か何かで記憶を失ってしまったのよ。もしくは、何かしら記憶に関わる病気を持っていたとか」
「そんな記憶ないけど……」
「それすらも忘れているのかもしれないわ。でも、自分のことや家族のことは思い出せるわよね?」
「あぁ、ちゃんと全部思い出せる」
「ここに来た子は皆そうなの。みんな、今までのことを忘れてこの学校に転校してくるの。貴方も、そのうちの一人ね」
「転校生ってこと?」
「そういうことよ。屋上で寝ていたのは、きっとこの学校に早くから来て探検した末に眠ってしまったんじゃないかしら?」
「俺ってそんなに間抜けだったのかな。普通そんなことある……?」
「あら。でも実際居たのよ? 転校してきて早々、廊下で眠っていた人とかね」
思い出し笑いをしながら、夕凪が語る。そんな変人と同じにされたくないな、と内心思いながら俺は状況を整理する。
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