12人が本棚に入れています
本棚に追加
俺は記憶を失った。原因は分からない。目が覚めると見知らぬ学校に居て、知らない少女に出会った。
これだけでだいぶ満腹だ。もうこれ以上突飛なことはいらないし、起こらないでほしい。
そう願いたいが、おそらくこの先にはまだ新しいことや不思議なことが待っている。そんな予感が、春風と共にやってきた。
「とりあえず、私がこの学校を案内するわ。まだ来たばかりで分からないことだらけでしょう?」
「助かる……。来たばかりも何も、目が覚めたばかりだから学校内は何も見ていないんだけどね」
もしかしたら、知らない間に学校を見て回っていたのかもしれないけれど。記憶がない分、それは確認が取れないので仕方がない。
とにかく俺は、少しでも多くの情報を得たかった。もしかしたらこれは夢かもしれないし、アニメや漫画であるようなタイムスリップとか異世界転生的な展開かもしれない。それはそれで面白いけれど、それは読者側だから面白いのであって、自分がいざその立場に置かれても、その状況を素直に楽しめるわけない。
「一人で百面相してどうかしたのかしら?」
「へ?」
「百面相はさすがに言い過ぎかしらね……顰め面してたけれど」
「あー……なんか、まだ現実味がなくって」
「無理もないわ。最初はみんなそうだもの。だから、早く慣れるためにも行きましょう」
夕凪は艶やかな唇に弧を描き、俺の手をごく自然に取った。「えっ⁉」と間抜けな声を上げる俺をよそに、彼女は地を蹴って駆け出した。
握られた手が熱い。顔から火が出そうだ。
女性経験がない俺には、美人に手を握られるというだけでもかなりの刺激だった。けれど別に一目惚れしたとかではない。単純に、彼女が持つ魅力に惹かれているのだ。
彼女が俺を見つけて声をかけてくれなければ、今頃はまだ屋上で呆けていたかもしれない。それは嫌だなと、屋上でだらしなく寝転がっている俺を想像して眉間に皺を刻む。
夕凪は、いとも簡単に俺の世界に入り込んできた。まるで、昔馴染みの友人みたいだった。長い間共に過ごしたかのように、彼女は他人との距離を縮めるのが上手い。きっと世渡り上手なんだろうな、と率直に思った。
そんなことを呑気に考えているうちに、自然と足が止まっていた。もちろん、俺の手を引く彼女が足を止めたからだ。
最初のコメントを投稿しよう!