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『一生懸命なのはいいけど、ちょっと頑張りすぎだよ?朝練もそうだし、先生に許可取って居残り練習もしてるじゃん。あんまり遅く帰ると、ご両親が心配するよ』
彼はただ、音楽が好きで、情熱を傾けているわけではない。どちらかというと、音楽に依存しているように思えてならなかったのである。同時に、家にいる時間を極力短くしているようにも。
実際、私の予感は当たっていた。彼は苦々しく笑って――告げたのである。
『心配なんかしないです。怒る時は、早く帰っても遅く帰っても怒るので』
暫く後、私は知ることになる。彼の家で練習ができないのは、近所迷惑になるからという理由ではない。
彼の母親が、癇癪を起こすからだ。特に、母親が男を連れ込んでいる時、彼は可能な限り気配を殺して家にいなければならなかったのである。母子家庭の彼の母親もまた、ある意味で依存症だった。男を取っ替えひっかえし、そして恋がうまくいかないたびに息子に手を上げ、八つ当たりを繰り返すのが常であったという。
体が大きくなり、力が強くなっても。幼少期からの支配され続けた人間は、そう簡単に抵抗することなどできるはずがない。
母親の声を聞くだけで、恐怖で体が動かなくなる彼は。追い詰められ続け、やっとの想いで音楽の世界へと逃げてきたのである。
『本当は高校にも入らずに、家を出て働いて一人暮らしをしたいと思ってました。でも、今中卒では雇ってくれる場所は少ないし……情けないことに、結局親の意向からは逆らえなかったんです。息子が中卒なんてみっともないからって。高校になる年で出て行かれたら、自分が周りからどんな誤解をされるかわからないからって』
都合が悪くなると言うことがすぐころころと変わり、一貫性なんてあったものではない母。彼氏を作り、再婚をするためには息子の存在が邪魔だと心底思っているのに、失恋するたびお前のせいだと詰るのに。それでいて、息子の存在を自分のアクセサリー程度には意識しているのだというところを見せつけるのだ。
自分は、彼女にとって何であるのか。
どうすれば離れられるのか、足が竦まないようになるのか。
遅くても高校を出たら、アルバイトをして一人暮らしをしようと思っているけれど。果たして母親に妨害されず、住む場所を決めて縁を切ることができるかどうか。
彼は今までずっと、そうやって悩んでいることを誰にも話すことができなかったのだという。いや、中学の時に一度教師に相談したが、殆どまともに取り合ってもらえなかったというのだ。全ては彼が男性で、体が大きかったというだけで。
『図体でかいのに、母親に抵抗できないなんておかしいって言われるんです。殴られて嫌なら殴り返せばいいのに、どうしてそうしないんだって。それができないのはマザコンだからなんじゃないかって。……それを聞いた時思ったんです。ああ、世間には、俺ってそういう風に見えるんだって』
彼が全てを話してくれたのは、大会が終わったその夜のこと。全国制覇はならないまでも、全国大会出場を果たし、歴代最高の成績を残すことができたと満足した日のことだった。
その日で引退となる私に、彼はずっと胸の内に貯めていたことを教えてくれたのである。パートリーダーとして、それほどまでに私のことを信頼してくれていたということなのだろう。私の方は――この時にはもう、彼の存在は“それだけ”のものでなくなりつつあったのだけども。
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