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『we're Men's Dream』 -type C- 2
ウチは小学生のころ、地元名古屋の少年野球チームで唯一の女子だった。そして投手。
中日ドラゴンズファンの父に「龍子(リューコ)」と名付けられていた。
三歳年上の兄「一樹(カズキ)」は中日ドラゴンズの打撃コーチと同じ名をもらっていたけれど、全く野球に興味を示さなかった。父の期待はウチに寄せられていた。
小学校六年生最後の試合、最終回。点差は7-6とリード。ワンアウト一塁・三塁。
少しだけ野球帽を目深にかぶりなおし、目を閉じて心を鎮める。一塁側から微かに違和感のあるスパイクの音が耳に入る。投球モーションに入ると、気配が動いた。目を閉じたまま、体幹を活かして、ショートに向かって送球する。
一塁側審判の右腕が上がる。思惑通りに刺した。盗塁を阻止して、ツーアウト。歓声が上がるも、すぐに場は緊張感に包まれる。ここぞという時には目を閉じ、集中力を高めて投げるのが、ウチの得意技だった。帽子と前髪で隠してやっていたので誰にもバレてはいない。
縦スライダーとチェンジアップで、空振りを続けて二回獲る。兄のノーパソを借り(カズ兄の主目的はエロサイト巡回だと知っていたので、ログインのアカウントは別にしてもらっていた)、Youtubeで球種をトレースして特訓を繰り返していた。超小学生級投手、裏の一面だ。再現できるまで自身に叩き込んだ。
あと一球で勝負が決まるだろう。いや、決めてみせる。一度だけ目を開けて周囲を確認し、また目を閉じて集中をする。次はド真ん中のストレートだ。セコい手は嫌いだった。勝負時にはストレート。これでストライク、バッターアウト、勝利、だ。残ったランナーは、さっきの牽制球を見て、警戒しているのがわかる。打球音がしなければ、永遠にベースに拘束されるがままだろう。
集中力が最大まで高まると、応援や歓声が完全に消えていく。すっと鼻から短く息を吸う。ウチは全身全霊を込めて、小学校最後の球を投げた。オマエのバットはウチの球に掠りもしないぞ。
スパン! ミットの小気味良い音が鳴る。ウチは目を開いた。ストライク、バッターアウト。
一瞬おいて、場内が大歓声に包まれる。勝利。これまでで最もキレのある速球だったと思う。チームメイトたちとハイタッチを交わす。観客席にはドラゴンズのユニフォームを着た父が、ちぎれんばかりに腕を振っている。その顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。
この二年後、中日ドラゴンズにラウル・バルデスが入団。その後、とある試合で、バルデスは、ウチがやっていたのと同じ「心眼投法」を披露し、注目を浴びる。
中学生になっても野球は続けたが、二年生になる前にやめた。そのあとも続けていれば、「バルデスに先んじて心眼投法を編み出した女」を自称することもできただろう。しかし、小学生の頃とは違い、中学生ともなると、男子との体力差は、あきれるほど大きくなる。半年ほどで、格下だと思っていたタメの男子にガンガン打たれ、ガンガン獲られ、まったく歯が立たなくなっていった。つまらない。やっていられない。野球を味わえない。
応援してくれていた父の期待を裏切る形になってしまったけれど、どうしようもなかった。リューコの龍の字が泣いていた。父には代案として女子軟球を勧められたけれど、ウチにとっては妥協でしかないので首を横に振った。首を横に振るヤツはピッチャー失格だ、と誰かが言っていたような気がする。ウチは他人から失格を与えられる前に、自分から降りた。
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