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議長にお願い 1
議長にお願い 1
大悪魔が久々に人間界に降り立つと、今日は満月だった。
月なら魔界にも毎夜浮かぶし、こちらの世界より余程大きく赤く輝いて美しいけれども、どうも華美に過ぎる。こちらの世界の月のように奥ゆかしく、ほのかに光を湛えているのがよいなと、大悪魔はこちらの世界へ遊びに来て月を見る度に思う。
宙に浮いて大悪魔はわずかな明かりの中で背広の襟を整えた。
これからずっと逢ってみたかった人に逢いに行くのだ、粗そうのないようにしなくてはならないなあ。なんとか私を気に入ってもらってお願いをきいてもらいたいのだけれど。
あっ、お土産とか持ってきたら良かった!いけないいけない……。
大悪魔は宙空ではたと止まりしばし考え込む。そして、これから出会うであろうとある人形師の事を思い浮かべた。手だれの人形師というならきっと職人カタギな爺さんなのだろう。煎餅とかが妥当だろうか、いや、年寄りに固いモノは良くないな……。
大悪魔は掌をくるりと返し菓子の箱の包みを用意した。中は最中だった。年寄りというなら外見はともかく中身は自分だってそうだ、きっと話もあうことだろう。
大悪魔はくるりと宙で大きく一回転して、今強く自分の心を捕えて離さない素敵なヒトの屋敷へ降りていった。
++++++++++
人形師の屋敷は丘の上にぽつりと建っていた。
隣には寄り添うように高い木が伸びていて、今はほの暗いからはっきりそうだとは言えなかったが、裏手には少し拓けた庭があるようだった。薪置き場や水道などが端々に点在している。
大悪魔はすいと玄関に降り立ち、再び髪や背広など整え見仕舞いを正した。わざわざ大悪魔が魔界を旅立ちここまで来たのは、人形師に自分だけの召し使い人形を造ってもらいたかったからだ。
今、魔界で秘かな流行の「人間に限り無く近いとされる人形」。数多の人形師達の中でも、特に腕利きなのが帝都国に住んでいるという。いい歳こいて新しモノ好きの大悪魔は、作成予約が空くのを何十年も待つのが嫌で直談判にやって来たのだ。
それも自分だけの特注品!楽しそうだ。
それに大悪魔は人形と同じ位、その人形師自体に興味が湧いていた。人間なのに何故魔界へ自分の人形を通販しようなんて考えたのだろう?こういってはナンだが、こちらの世界にとって魔界は絶対的にマイナスイメージが強い。嫌ではないのだろうか?
大悪魔は一瞬まともに扉を叩いて招き入れてもらおうかと思った。けれどそのまますっと扉を通り抜け屋敷へ入った。
そう、悪魔のように。
室内は赤みの射した照明で、香でも焚いているのだろう、入ったとたんに薄く木の葉のような香りがした。居間には低い木製の机にソファ、右手の奥に台所らしき洗い物の台が見えた。稼いでいるのだ、貧乏そうには見えないが必要最低限のものしか屋敷には無いようだった。
大悪魔がその丸みを帯びたソファに腰をかけると、ふいに後ろで床が軋んだ。振り返ると、彼が居ることをさして気にもしない風で着物を着た娘が入ってきた。そしてすたすたとソファの前に回り込んで大悪魔をじっと見つめた。
大悪魔は娘に釘付けになり、これが例の高価な人形なんだと息を飲んだ。
「きみ、御主人様はどこに居るの?」
「主人はおりませぬ」
人形は小さな口で答えた。声は少し抑揚がなく棒読みだったが美しい音に聞こえた。
噂には聞いていたけれど、こんな精巧な人形を造れるなんて本当に素晴らしい、と大悪魔は嬉しくなり感嘆した。
「やあ、私は御主人様に君みたいな人形を造ってもらいたくて会いにきたのだがね。お帰りになるまで待たせてもらっても良いかな?君も座ってお話しよう」
彼が言って隣をぽんぽん叩くと娘はちょこんと隣に座った。ソファはほんの少し沈んだだけだった。
「御主人様は最中は好きかな?」
人形はかっくんと肯首した。大悪魔はまじまじと人形を眺め、放り出されていた左手をとり両の掌で包んだ。
少しばかり人形は身じろぎした。
人形はかなり小柄で、胸上できつく縛った帯使いの、ふわふわした柔らかい生地の着物が良く似合っている。まるで孵化したばかりの薄い羽を纏っている蝶のようだと大悪魔は思った。
私もこんな人形がもらえたら毎日こんな綺麗な着物を着せてあげて、毎週新しい着物を買ってあげよう。
大悪魔は自然に口許が緩んだ。
その様を人形は無表情に見返した。感情は乏しいようだが、やや小さめのきつそうな瞳の、澄んだ強い光が大悪魔の瞳にも届いた。
「造ってもらえるなら、君みたいなのがいいなあ!とっても可愛いし、賢そうだから」
大悪魔は既に人形師に会って人形を造ってもらえるような気になって満足の溜め息を漏らした。金なら自分にはあり余る程あるからだ、よもや断られる事はあるまい。大悪魔がおどけて言うと、茶の短い猫毛を揺らして少し驚いた顔を人形はした。
ヒトの言う事に反応して感情を表すなんて、なんていじらしい。同じ造りの人形を是非欲しいとお願いしなくては!いや。
「そうだ、君をもらっていこう。それがいい」
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