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須佐之男命がヤマタノオロチを退治したあと、古事記の記述は大国主命を主人公とした物語に舵を切ります。
大国主命は須佐之男命の子孫とされており、国津神と表現されています。
国津神とは、天孫降臨以前からこの国土を治めていたとされる土着の神(地神)の呼び名で、その逆に天照大御神などが属する高天原の神を天津神と言います。
高天原とは神々の住まう場所の呼び名ですが、これまでのヨタ話の流れから言いますと邪馬台国。もしくは大和朝廷を指していると考えられます。
なぜこのように考えるかと言うと、当時の最先端国家は中国大陸にあり、そこには「中〇思想」が根付いています。〇華思想とは中華の天子こそが天下(世界)の中心であり、その文化や思想が神聖なものである、と自負する考え方です。
すごく自己中で、鼻持ちならない思想ですね。(←こらこら (^^;ゞ)
文化や思想を当時の中国に求めた邪馬台国(大和朝廷?)は、当然のことながらこのハラスメント満載な思想にかぶれています。
この鼻持ちならない思想を当時の日本に当てはめると、当時の先進国家である邪馬台国(大和朝廷)こそが天子、すなわち天津神であり、自分たちの住まう土地が高天原である、と考えるようになったのではないでしょうか。
その逆に、支配される側には称号すら与えず、かろうじて彼らを束ねる少数の者(地域住民の長)のみを自分たちに近い者(国津神)として扱ったのではないでしょうか。
(ーー゛)
つらつらと思うところを書きましたが、何だか話の方向性がヤバくなってきました。うっかりすると、ど〇〇問題とかに飛び火しそうです。ここで大国主命に話を戻します。
大国主命が古事記に初登場した場面で、彼は八十神の末弟として旅をしています。大国主命は須佐之男命の直系の子孫であるにもかかわらず、従者のように袋を持たされています。これはいったいどう言うことでしょうか。
答えは彼の出自を表す形容詞の「国津神」にあります。
大国主命の先祖である須佐之男命は、ヤマタノオロチを退治したあと、その尾から出現した草那藝之大刀を天照大御神に捧げています。
天照大御神を邪馬台国(大和朝廷?)の表現と考えるならば、須佐之男命(大陸由来の技術者集団)は邪馬台国を追われたあともその監視下にあり、やっとの思いで定住できる土地を得たあとも従属させられて貢物をさせられていた、と推測できるのです。
ここで大国主命が袋を持たされていた理由を、改めて考えてみましょう。
彼は須佐之男命の子孫です。須佐之男命は、大きな失敗をしてしまって邪馬台国を追われた人間です。
すなわち大国主命は、八十神の末弟(邪馬台国側の人間)ではあるがかなり身分が低い人間。ひょっとすると支配階級社会における最下層の地位の人間。と、考えることができるのです。
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