突きつけられた現実

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突きつけられた現実

 百二十字分のマス目でつくられた解答欄に最後の問いの答案を書き上げ、長沢直之はシャープペンシルをそっと机に置く。顔を上げて黒板の上に掲げられている時計に目を移すと、すでに午後5時を回っていた。窓の外を眺めると、既に空は真っ暗に染め上げられている。ここは仙台市の中心部、広瀬通にある予備校の教室。クリスマスイブであるこの日、長沢は特別授業である超難関国立大二次現代文猛特訓という講座を受講していた。 ーーイブの夜なのに、何でこんなことやってるんだろうな……  ふと長沢の頭にそんな疑問がよぎる。本当なら今頃は朝のニュースで紹介されていた渋谷・表参道のイルミネーションを可愛い恋人と一緒に観に行っているはずだった。しかし長沢を待ち受けていた現実はイルミネーションを見ることではなく、目の前にある東大の評論文の過去問と「不毛な格闘」をすることだった。  9ヶ月前の合格発表の日、東大本郷キャンパスの掲示板に長沢の受験番号が刻まれることはなく、桜は無残にも散ってしまった。その悔しさを胸に浪人生活に入り、寝食の時間も惜しんで受験勉強に取り組んできた長沢。しかし今日返却された東大オープン模試の結果はD判定。数値に表すと合格可能性35%だった。 「結論から言うと、第一志望の東大文二はほぼ厳しいと思った方がいいな」  模試の返却と同時に行われた二者面談で、担任は長沢にそうつきつけた。あまりにも無情なクリスマスプレゼントだが、担任の言葉にも十分過ぎるほどの理がある。世界史や日本史の論述試験対策がまだ不十分な現役生の場合はこれからさらに伸びる望みはあるが、浪人生の場合土壇場の追い込みによる逆転合格について大きな望みは持ちづらいからだ。  窓の外を見ると、パラパラと舞い降りてきている粉雪が街灯に照らされてきらめいている。残酷なほどに美しい空を見ながら、長沢は深いため息をついた。 「よし。大体これで35分だ。東大の評論文にかけられる時間は大体このくらいやからな。では解説に入るぞ」  現代文講師の牧場勉(まきばつとむ)はそう告げると、問題文の冒頭から音読を始めた。 「この第三段落と第四段落は対比構造になっているんや。問二の解答はその対比を意識すると書きやすいんちゃうか?」    牧場はマイク越しにそう語りかけながら、冬なのにワイシャツの袖をまくった右手でカリカリと板書を連ねていく。わざわざ関西から数ヶ月に1回呼ばれる特別講師だ。ぶっきらぼうで早口に聞こえる関西弁に、一本たりとも髪の生えていないスキンヘッド。一歩間違ったら裏社会の人と間違えられそうないでたちをしてはいるが、黒板の文字はまるで習字のお手本のように整っている。 「解答が書けないときはな、傍線部をいくつかにぶった切るんや。そしてそれぞれを他の本文中の言葉で言い換えてみい。ほら、解答の方向性が見えるやないか」  牧場はそう言って伸ばした指示棒を黒板にカンカンと叩きつけた。黒板の上部には3つに分けられた傍線部の文言が、そして下部にはそれぞれを言い換えた言葉が書かれており、論述解答の作り方がとても丁寧に図解されている。 「国立の二次試験は満点を取らなくても受かる。年にもよるが、東大も京大も医学部を除けば二次試験の合格ラインはせいぜい6割程度や。だからこそどうやって確実に部分点を取るか?という戦略も大事なんやで」  牧場先生がそう締めくくったところで、チャイムの音が響き渡った。時計は午後5時45分を指している。 「ところで……」  牧場はニヤリと笑いながら、教室全体を見渡した。 「今日、お前らはこれから時間は空いとるか?」  50人ほどがいる教室を見渡しながら牧場はそう問いかける。異論を唱える者は、いない。 「分かっとる奴も多いとは思うが、毎年な、この時期ワシの猛特訓講座にはが付いてくるんや。さぁ、荷物をまとめてみんな一階に降りろ。勿論、用事がある奴はこのまま帰っても構わんからな。じゃあ15分後にワシは下に降りるけぇの」  牧場先生はそう言い残し、教室をサッサと出て行ってしまった。
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