突きつけられた現実

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 15分後、ストライプのスーツの上に黒いコートを羽織った牧場が降りてきた。集まった生徒はおよそ40人。皆男子だ。 「行きたい奴はみんな揃ったな?ほな、行くで!」  牧場の号令に従い、長沢達は予備校から広瀬通へと繰り出す。フォーラスの前を抜けて国分町通りへと入ると、ミニスカサンタ姿の女性やスーツ姿の男性が呼び込みに立っていた。 「お父さん!これからキャバクラ一件いかがですか?50分4000円で飲み放題ですよ?」 「アカンでぇ。4000円もあったら1ヶ月は飯食えるけんのぅ」  牧場は笑いながらそう言い放って客引きの男を袖にした後、胸ポケットからサングラスを取り出した。クリスマスの華やぐネオン街のど真ん中を通り抜ける「浪人生御一行様」。中でもそのツアーコンダクターである牧場の姿はひときわ目立っていた。無理もない。いくらコートを羽織っているとはいえストライプのスーツにスキンヘッド、そこにサングラスをかけた牧場をぱっと見で堅気の人間だと思える人間は圧倒的に少数派だろう。これだけの人混みにも関わらずさっきの客引きの男を最後に牧場に声をかける者はなく、皆がサーっと道の端へとはけていく。長沢はその異様な光景に思わず小さな笑みをこぼした。そうして国分町のど真ん中を悠々と闊歩することおよそ10分。「活ふぐ平」と行書体で記された看板の前で牧場先生は立ち止まり、引き戸をガラガラと開けた。 「おっ!いらっしゃい牧場先生!お待ちしてましたよ!」  長い包丁で魚をさばいていた板前が笑顔でそう声をかける。 「さっき数えたら40人や。かまへんか?」 「あい。行けますよ!先生が来るって聞いてたんで、大部屋を取っておきましたんで」  板前がそう告げると、和装の女将が長沢達のことを座敷へと連れていった。座敷には飲み物のメニューが置いてある。女将がメモ用紙とペンを懐から取り出した。 「20歳になっとる奴は酒を飲んでも構わん。ただし2杯までや。明日以降の勉強に差し支えるからのう。それと一気飲みはやるのもやらせるのも絶対に禁止じゃ。これらを守らん奴はつまみ出すから覚悟しとれよ」  牧場がそう告げると、長沢達は口々に飲み物のオーダーを女将へと告げていった。目の前のコンロにはすでに火が点けられており、鍋の中には黄金色に透き通った出汁と、しめじや椎茸といったきのこ類がすでに準備されている。鍋の表面がゆらゆらと揺れ始めた頃に、飲み物が続々と運ばれてきた。 「飲み物来てない奴はいるか?」  牧場先生はそう言って部屋の中を見渡す。手を挙げる者はいない。牧場先生はそれを確認すると小さく頷き、グラスを片手に再び口を開いた。 「センター試験まで残り1ヶ月を切ったのう!?」 「オー!」  野太い声が口々に起こる。 「本番の国公立大二次試験も、2カ月後に迫っている!」 「そうだー!」 「しかも今日はクリスマスイブや!」 「イエーイ!」  やけっぱちとも取れるような歓声があがった。きっと彼らも、つつがなく受験戦争を勝ち抜いた上彼女を作り、たった今カップルで輝くイルミネーションに彩られた並木道を歩いているにっくき大学生のことを想像しているのだろう。 「ここで浪人生諸君に問いたい!」  牧場先生が語気を強めた。 「なんですかー!!??」  40人の声がひとつになったところで、再び牧場先生が口を開く。 「こんなことやってて良いのかー!?」  そう発せられた瞬間、部屋のあちこちから笑い声が起こった。そして隣のテーブルから 「良い訳ないだろー!」  という声が上がった。部屋の笑い声はさらに大きくなり、気がつけば全員から拍手が沸き起こっていた。 「でもな、どうしても飲まなきゃやってらんねぇことだって世の中にはあるんや!不安になって何もかも忘れたくなるときだってあるんや!だからこの数時間だけは、思いっきり何もかも忘れたらええ!用意はいいか?」 「オー!」 「じゃあ、乾杯!」 「カンパーイ!」  カチンカチンとグラスを合わせる音が部屋中のいたるところから聞こえてきた。僕も隣にいる生徒とグラスを合わせ、入っていた烏龍茶を飲み干した。
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