2.村で聞いた話

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2.村で聞いた話

 「やあ、クミ」  「……」  「クミ?」  「!?あ、……」  陽気な第一声には気づかず、二回目の呼びかけでわたしはようやく我に返った。  「あ、ああ、こんにちは、二コ」  「どうしたんだよ」  水色の綺麗なガラスみたいな瞳が眇められた。   城のおひざ元の村にある、ハチミツ屋の息子である。  彼を語るにはまずパン屋の話から。  村を歩いて回っているうちに、素晴らしく美味なパン屋に巡り合った。お城で供されるパンが美味だったがここが納品元かと気づき、売られている全種類のパンを制覇しようとわたしのパン屋通いが始まる。  で、ニコはその隣のハチミツ屋さんの跡取り息子である。  パン屋のご主人の兄の店。構えは小さいがその実大きな養蜂家だ。  日本でもグルメが絶賛するブランドハチミツを作っていて、職人気質の父親と、やり手の(ただし日本の漫画にかぶれた)息子、つまりニコが、パン屋に日参する漫画の国から来たジャポネ=わたしに話しかけ、ハチミツは美味だし話は面白いし、すっかり仲良くなってあっという間に「ニコ」「クミ」の間柄である。  ちなみに名前は「二コラ」という。「ニコと呼んで」と言われたからその通りにしている。  「ごめんニコ、ぼうっとしてた」  「顔色悪いよ」  ニコは長身を屈めてわたしの顔を覗きこむ。  怪しげな日本語を交えて口角泡を飛ばして漫画への熱意を語るニコは残念な青年だけれど、黙っていればたいへんなイケメンである。  いきなり距離を縮められてわたしはのけぞった。  「……なんでそんなに引くの」  「近すぎるもの」  フランス女性なら知らず、わたしにはイケメン耐性が無い。  「日本女性は慎ましやかなの」  「知ってる、ごめんね。ヤマトナデシコだよね」  ニコはその単語だけ日本語で語り、強く頷いた。  なんかちょっと違う気もするが、まあいいだろう。それは幻想です、という必要はない。  「でもクミ。ほんとに顔色がひどく悪い」  ニコは今度は適正距離を保ちながら真剣な面持ちで言った。  「まだ旅疲れがとれてないの?眠れない?」  「……いいぇ、そんなことはない、わ」  わたしは口ごもった。  もう顔に出ているのだろうか。  旅疲れなんかじゃない。  ちゃんと眠れていないのだろう。  だって、毎夜……  今朝方の、特別に淫靡な夢を思い出してわたしは小さく身震いした。  そんなわたしを眺めていたニコは軽く頷くと、さりげなくわたしの手をとった。  「!?」  「おいで、クミ」  返事も聞かず、すたすたすたと手を引いて歩きだす。  とても強引でびっくりしたのだけれど、不快に思ってはいない自分にさらにびっくりだ。  「ニコ、どこへ」  「俺んちだよ」  「なんでまた急に。それにちょっとこの手……」  「ばあちゃんに会いに行こう」  「はああ?」  話についていけない。  ちなみに、足の長いニコだけれどそこは女性に優しいお国柄か、歩幅を合わせてくれていて、早足ではあるけれどちゃんと一緒に歩いていられる。  「ばあちゃんはハーブを使うのが上手なんだ」  「……うん」  「安眠のお茶を処方してもらおう。眠れないんだろう?」  「まあ、ね」  不眠はバレバレらしい。  「クミは象牙色の肌が綺麗なんだからそんな顔をしていたらダメだ」  「……そう、かな」  なんだなんだ。  するんと言われたけれどものすごく照れくさい。  おそらく顔が赤くなっていると思う。屈託なく話すニコに気づかれなきゃいいけれど。  「俺んちの離れにいるんだけどさ。漫画の国から来た女のコがお城に滞在してる、って言ったらぜひ会ってみたい、遊びに来てほしいって」  「ふうん」  「物知りだし面白いばあちゃんだよ」  「……なんかお土産を持ってくればよかった」  お話し好きなニコのおばあさま。  わたしの顔色云々とは別にぜひお会いしたくなった。  それにハーブ?南仏のハーブは大好きだけれど、その扱いに長けているとはまた素晴らしい。  お城にいったん戻ったら、日本から多めに持ってきた小さな扇子とか和物の匂い袋とかあるのに。  「ニコ、ちょっとお城に寄っていい?せっかくだから日本のお土産お渡ししたいな」  「堅苦しく考えなくていいのに。……でも喜ぶよ、有難う」  ニコはにっこり(シャレではなく)笑って進路を変えてくれた。  どのみち、お城までは大した距離じゃない。  *****  ニコの「俺んち」は広大なラベンダー畑やハーブの庭園がある瀟洒な邸宅で、おばあさまの「離れ」はハーブ庭園のそばのものすごくかわいい石作りの家だった。  南仏の農夫小屋を改装しているとのことだが、「小屋」だの「離れ」だののイメージには程遠い、洒落て手の込んだお住まいである。  「ばあちゃん、クミを連れてきた」とニコに手を引かれて、わくわくしながら素敵な離れの扉をくぐる。  「遠いところをよくおいでになられたね」  玄関を抜けるとすぐに居間が広がっている。  飴色のテーブルの向こうから声がかかった。  石壁にたくさん吊るされた実用なのか装飾なのかわからないくらい素敵な香草の束、ガラスや陶器のキャニスターに囲まれた部屋に、くだんのおばあさまはいらっしゃった。  ───なかなかの迫力のある方だった。  目力がすごい。皴深い風貌も相まって、失礼ながら魔女のようだ。  美しい方だけれど。  ニコと同じ水色の瞳を細めて立ち上がり、わたしを迎えようと近づいてくる。  「初めまして、クミと申します。お邪魔致します」と、国は違えどきちんと腰を折り、一礼をしてから顔を上げ、あらためて彼女と目を合わせたとたん、  「!?」  空気が変わった。  ニコのおばあさまが鋭い目で私を見つめている。  わたしの目を、というか。  わたしの背後を、というか。  どうしたんだろう。  何か気に障ったのだろうか。  「ばあちゃん、どうした」  チャラけているが、ニコはしっかり人の顔色を見る。場を読む。  自分の祖母の目つきが一変したのを訝しく思ったようだ。  「おい、ばあちゃん」  「クミさんとおっしゃったか」  ニコを完璧に無視して彼女は言った。  「あ、はい。マダム、クミで結構です」  「じゃあ遠慮なく。……クミ、城に滞在していると言ったね?」  「はい」  「眠れてないんじゃないのかい?」  「……はい」  私はおとなしく頷いた。  男のニコだって気づいたのだ。  若かりし頃はさぞかし、と思われるおばあさまにわからないはずはない。   そんなにひどい顔をしているのか、わたし。  「ばあちゃん、だからクミによく眠れるお茶調合してよ」  ニコが横合いから口を挟む。  つないでいた手は放していたけれど、いつのまにかわたしの肩にニコの手が乗っていた。  突然手を取られたときは驚いたけれど不思議なものだ。肩にかけられた手を見ても、もうそんなにいちいち心臓が跳ねることはない。  「クミの肌、すごく綺麗だろう?こんな顔色じゃもったいないよね」  「それはそうだが」  彼女は上の空で言った。  「クミ。単なる不眠かい?それによって出す茶も変わる」  「単なるって……」  「夢、見てるんじゃないのかい?」  「!?それは、」  炯々と光る彼女の瞳。  ウソをついても見破られそうな。  まだ何も言ってないのに後ろめたい気持ちがするのはなぜなんだろう?  「……座らせもせず悪かったね。とりあえずおかけ」  「あ、はい」  「クミ、座ろう」  ニコに肩をそっと押されて数歩進み、腰を下ろした。  ───いい香りのハーブティ、ドライフルーツをたっぷり使ったクッキー。  南仏の田舎家で供されるそれらは雰囲気もお味も抜群だったのに、あまり味がしない。  「……それで、クミ。ろくでもない夢を見てるんじゃないか?」  話が聞きたい、と言われのは確かだけれど、まさかこんなことを聞かれるとは。  言葉に詰まってお茶を啜っていると、  「図星だろう?見てなきゃ見てない、と言うだけのことだからね」  彼女は断言した。  当たっているからしかたがないとはいえ、あの内容まで喋らされるんじゃないかとどきどきする。  「ばあちゃん、待てよ、どうしてクミにそんなことを」  むっつりしてしまったわたしを見かねてか、ニコが助け舟を出してくれた。  ハチミツ屋の息子らしく甘党なのか。クッキーをぼりぼり食べている。  「会ってみたいっていうから連れてきたのに」  「ニコ、お前も聞いたほうがいい。いや、聞くべきだ」  少し目元を緩めて、彼女はニコに諭すように言った。  可愛がっている孫なのだろう。  「ばあちゃんが」と言うぐらいだから、ニコも懐いているのだろうし。  けれど、もう一度わたしに向けられた彼女の瞳は、やはりとても鋭いものだった。  わたしに対して云々、というより、なんだろう。とにかく真剣な話をする顔、というのか。  「緊張させてすまないね。でもクミ、どうやら急いだほうがいいようだから」  「……何をですか?」  「祓わないと。クミは見込まれてる。厄介な男に」  「なんだよ、男って!?」  ニコが乱暴に茶器を置いた。  クッキーのかすを拭いながら椅子と体ごと、わたしに向き直る。  知り合って間もない、いつもお日様みたいに朗らかに笑っている彼のこんな様子はもちろんだが初めて見る。  「クミ、どうした。ストーカーされてるのか?」  「いや?べつに」  「ある意味、間違っちゃいない。でも実体がないぶん、本物のストーカーよりたちが悪いね」  「実体がない?」  わたしとニコは顔を見合わせた。  「ばあちゃん、それどういう」  「夢に出てきているはずだ」  「夢?」  「クミ。もう何度も夢に見てるんじゃないか?……あの城で」  「マダム。……」  冷たい手指、唇。凍える吐息。  私を貫くそれさえもまるで氷のようで。  でもひたすら慕わしくて。愛おしくて。  ……それが、「厄介な男」?  恥ずかしい夢を思い出して彼女の射るような視線から逃れるように目を伏せる。  「わたしにはね、ちょっとした力がある」  これ以上根掘り葉掘り聞かれたらどうしようとびくびくしていたけれど、少しだけ矛先が変わったようだ。  わたしを怯えさせないためかもしれないが。  「善きもの、悪しきもの。それらは普段は自然の中で、彼らの摂理の中で暮らしているが、ちょくちょく人間にも干渉する。それがわたしには見える。気にかけた人間に、彼らがくっついたり乗っかったりするのが」  妖精さんみたいなものかな、と一瞬、のんきに考えた。  「たいていは害がない。多少の害なら、まあそれはその人のちょっとした運命のようなものだ。わたしも気には留めないのだが、クミ、これはダメだ」  また、声音が厳しいものになった。  思わず、背筋を伸ばす。  「マダム、ダメってなんですか。わたしにはなんのことだか」  「強力な奴に見込まれてる。執着されてる。夢を介して現実にまで手を伸ばしてる」  「奴って誰なんだよ」  ニコが鼻にしわをよせて言った。  わたしも頷く。それが聞きたい。  誰かはわからない、けれど夜ごと夢に現れるあのひとのことか?  「……あの城の城主だ。大昔のね」  彼女はまるで神の託宣のように厳かに言った。  *****  聞かされた話は常ならば悲しい昔話でしかない。  ヨーロッパのみならず、日本でも似たような伝承があるだろう。  ……戦乱の時代に仲の良い城主夫妻がいた。  いつもいつも、使用人達にまでほほえましく笑われるほど毎日ひたすら、城の最上階の部屋から外を眺めて夫の帰りを待つ妻に、城主が提案した。  次に帰城する時は旗印に赤い布を結ぼうと。生きて帰る印に血のような赤い布を。  今までは君主を表す金襴の布。それに、赤い布を加えれば城からもよく見えるだろうからと。  ある戦ののち、負傷した城主は気を失ったまま帰城することになり、部下に赤い布の指示ができなかった。いつもその役目を負った部下も城主の負傷に気を取られ、帰城を急ぐばかりですっかり忘れていた。  そして妻はそれを見て、絶望して最上階から身を投げて死んだ。   傷が癒えた城主は愛する妻の最後を知り、嘆き、妻の亡骸の前で命を絶った。  「ちょくちょく、怪談話があるんだよ、今までにも」  彼女はすっかり冷めたお茶を啜りながら「淹れなおそうかね」と呟いた。  「開かずの部屋のはずなのに、窓辺に女性の人影が見える、とか。妻を求めて城を歩き回る城主の足音とか。でも一番耳にするのは‘夢’だ」  「それなら俺も聞いたことあるよ」  ニコは言った。  ここで生まれ育っていれば当然だろう。城主夫妻の昔話も知っていたそうだ。  「パーティの会場や、ホテルとして使われたりしてるだろう?賑やかにしていれば足音なんて聞こえない。人影なんて気に留めない。でも、夢は違う」  フランス製のあの有名な電気ポットのスイッチを入れる音が、やけに大きく響いた。  「あそこで泊った妙齢の女性。統計を取ったわけではないがね、黒髪、黒褐色の髪の若い女性の夢に、夢枕に城主が出てくると誰が言い出したんだろうね。なんども耳にするんだ。昔から」  「……」  ぞくり、とする。  顔は見えなくともわかる。どっしりと優雅な物腰。  わたしを「そなた」と呼ぶ、時代がかった物言い。  「ハネムーンとか恋人同士のところには現れないらしい。節度ある城主、と言ったほうがいいのかね」  皮肉っぽく彼女は笑った。  もちろん、わたしは笑うどころではなかったが。  「独り身の妙齢の黒髪の女性。クミは条件にぴったりだ。彼氏と泊ってるんじゃないんだろう?」  「当然!」  「一人で来てるって言ってたろ!?」  ちょっと悲しいけれどわたし私は強く否定し、なぜかニコは気色ばんだ。  彼女は今度は本当に苦笑したらしかった。  「ニコ、力になっておやり」  立ち上がり、沸騰したお湯をハーブを増やしたポットに注ぎなおしてくれる。  ……相変らず、あまり匂いを感じないのだけれど。  緊張しているのだろう。  「もちろん力になる。いや、なりたいさ」  ニコはそう言ってわたしをじろりと睨んだ。  「どうして睨むの?」  「クミは鈍いみたいだ。どうやって誘おうかと思ってたんだよね。ちょうどいい。ウチで泊れよ」  「そりゃいい」  「いえ、それは!」  わたしは立ち上がった。  木の椅子がひっくり返りそうになるのを隣のニコが引き上げてくれる。  ひとりだけ大慌てなのが恥ずかしい。  わたしはもじもじと静かに腰を下ろした。  「マダム、ニコ、いや二コラさん、突然お泊りというのはさすがに」  「……クミ、今さら二コラさんはないだろ」  「あんたもまだまだだね」  「うるさい。彼女はヤマトナデシコなんだ。時間をかけないと」  「ヤマト何とかは知らないが、ニコ、クミ。時間はない」  「マダム、その‘時間’ってさっきから何度も……」  「たいていは一晩か二晩のことだ。夢の話を聞くのは」  聞く限りでは脈絡なく、唐突に彼女は切り出した。  「長期滞在する者は少ないし、それに何よりその者たちの話によればえらく冷たいだか寒いらしくてね。夢の中とはいえ。それで寒すぎて目を覚ますんだそうだ。すると夢は終わる」  確かに寒い。冷たい。凍えそうだ。  けれど低い声も甘い声も、それは熱くて……  「クミ、それだけ顔色を悪くするほどだ。一晩や二晩のことじゃないんだろう」  「そうなのか、クミ?」  ニコにまで畳みかけるように尋ねられて、わたしは小さく頷きを返す。  彼女は深いため息を吐いた。  「クミは見入られたんだ。そしてクミも嫌ではなかった。だから夢が続いてる。放っておけば今夜も」  「そう……でしょうか」  「そう。取り殺される前に何とかしなきゃね」  「ばあちゃん!」  ガタン!と今度はニコが勢いよく立ち上がった。  彼ほど反射神経のよくないわたしには成す術もなく、木の椅子が盛大な音とともにひっくり返る。  「取り殺す?ひどい話じゃないか。わざとクミを怖がらせてるんじゃないよな?」  「ニコ、お前の惚れた女性を怖がらせて何になるっていうんだい?」  「怖がらせて俺んちに泊めて仲良くさせようとかさ」  「それも悪くないがそんな悠長な話じゃない」  なんだか微妙な話をしていたようだけれど、「いいか、クミ」と彼女は最初に目があったときと同じ、怖いくらいに鋭く光る眼でわたしを見据えた。  「夢は長くなってゆく。クミもどんどん深く魅入られていく。精気を吸い取られていくよ。クミの存在自体が黄泉の者に近づいていって、いずれは死ぬ」  「そんなこと」  「途中で目を覚まさないくらいだ。いい男なんだろう、その城主は。でも幽霊なんだよ?クミが死にたいんじゃなければ拒絶することだ。そのためには城を離れるのが一番いい」  「クミ、とりあえず城を出よう」  ニコも熱心に言葉を添えた。  「いきなり俺んちが抵抗あるなら村に宿をとろう。それならいいだろう?」  「ダメよ」   「なぜ?クミは死にたいのか?」  「死にたくない。でもそんなわけのわからない理由ですぐ出られない」  「突然で驚くのはわかる。でも本当に」  「ダメったらダメ!!」  ばん!と気が付けば机を叩いていた。  「ジャンヌやそのご両親にも挨拶せずに城を出るなんて。そんな失礼なこと絶対にできない」  そうだ。  ご両親はわたしを迎えてからまもなく近場へお泊りで小旅行に行かれた。  ジャンヌは昨日から彼氏とやらとやはり遊びに出かけた。  自分の家みたいに好きにしていてね、と言ってくれたけれど、本当にその通り。立派な城をわたしにぽんと貸し与え、使用人まで好きに使うようにと言っていなくなってしまっている。  太っ腹なジャンヌご一家に無断で「幽霊が怖いから出ました」なんてあんまりだ。  「夏中ずっと滞在させて頂ける予定だったけれど、それはやめます。マダムのお話は怖いもの。でも、ジャンヌ達が戻る前にさっさと出るなんてできません」  何かに突き動かされるように、わたしは熱弁をふるった。  それだけだろうか、と頭のどこか遠くで、冷静な自分が問いかける。  不義理だけが理由だろうか。そんな太っ腹な友人なら後で事情を話せばわかってくれるのではないか。  ……イヤだ、と本能で強くその考えを否定してしまう。  会いたい。あのかたに。  「失礼なことはしたくないのです。ジャンヌは大切な友人ですから」  夢の中のひとへの執着を気取られないように、わたしはあえてきっぱりと、彼女の目を見返して言った。  「頑固だね。……この、見た目はたおやかなジャポネは」   「ヤマトナデシコだから」  彼女の嘆息にニコがピントのずれた相槌を打った。  「……今の城主一家はね。その大昔の城主の部下の一族なんだよ」  「ジャンヌが?」  部下?  「下剋上?お家乗っ取り?」  「いいや。そう罵る者がほとんどだけれどね」  彼女はゆっくりと頭を振った。  「言い伝えの続きだ。……城主夫妻を失った部下は自分を責めて悔やんであやしげな黒魔術に手を染めた。いつか、夫妻を復活させる、それまでは城を守ると」  「……」  「傍から見れば乗っ取りにしかみえないだろうがね。でも今の城主一族の評判は悪くないんだ。だから延々と血脈が続いている。黒魔術、って言ってもそれは眉唾かもしれない。ただ……」  「ただ?」  いつまでも黙っているので思わず先を促すと。  「ただ、クミが気に入られたことがわかったら?主君の恋路を邪魔しないようにするかもしれない」  「それって……」  「わざと城を空けている、とは思わないかい?」  「そんな」  まさか、ジャンヌが。ご両親が。  「よく眠れましたか?」「素敵な夢を見たような気がします」「それはよかった」  ……何気ない、朝の会話を思い出す。  二の句が継げず茫然と黙り込む。  「まあ、今の城主ご一家のことは考えすぎかもしれないけれどね。でもクミ、急いだほうがいいのは間違いない」  彼女は少し優しい声で言った。  「すぐに城を出る気がないなら仕方がない。できる限りのことをしてあげよう」  「マダム……」  「ばあちゃん、頼む」  ───わたしは黙って頭を下げ、孫にも頼むと言われた彼女の行動は早かった。  *****  結局、持ってきた日本のお土産以上の大量のお土産を持たされた。  魔除けという各種ハーブの束。部屋の入口、窓辺に吊るすようにと言われた。  サシェもたくさん持たされた。可愛い袋に入っていて、バッグの中や枕元や、夜着にポケットがあれば入れるようにと言われて。  さらにペンダント。シルバーの凝った鎖に大粒のオニキスが一粒、下がっている。  頑固でかわいらしいジャポネに贈り物だと言われ、固辞したのだけれど強引に首に巻かれてしまった  オニキスは魔除けの石だから、と。  そして、耳の後ろに聖水だといって何かを塗ってくれた。  髪を上げたとき、一瞬息をのんだような気配がしたけれど、気が付かないふりをして、丁重にお礼を述べて離れを後にした。  「……俺も一緒に泊まろうか?」  お城へ帰る道すがら、ニコがぽつりと呟くように言った。  大量のお土産を持ってくれている。それはありがたいのだけれど。  「一緒に泊まろうか、クミ。いや、手出しはしないよ、我慢する」  ニコはとんでもないことをさらりと言った。  「ジャンヌか城主夫妻が戻るまで。俺がいたらきっとその往生際の悪い男は出てこないだろう?」  「……お気持ちだけ頂くわ、ニコ」  わたしは苦笑して言った。  「マダムが色々下さったし何か塗って下さったし。たぶん大丈夫」  「たぶん、じゃ心配だろう?」  「じゃあ、たぶん、は無し。大丈夫、すっかり安心した」  「クミは安心しても」  ニコは食い下がった。  「相手のあることだ。何百年も妻に執着する男だぜ。ばあちゃんは冗談であんなことは言わない。それにクミは」  彼ははっとしたように口を噤んだ。  そのまま口をへの字に引き結んでいる。  私より年上なのに、イケメンがするとこどもみたいで可愛い。  「ニコ、何?」  「……そいつに、抱かれたのか?」  「え、」  ぼそりと零された言葉は聞き捨てならない爆弾発言だった。  一番、聞かれたくなかったこと。  「ばあちゃんが聖水塗った時、見えたんだ」  「……」  「キスマークみたいなのが。クミは彼氏はいないと言ってたし実際一人で泊ってるみたいだし。だったらそいつかと思って」  「そんなわけないじゃない」  よかった。  感づいているわけじゃない。  わたしは内心胸を撫で下ろしながら努めて声を張る。  「ニコ、やらしいのね。虫に刺されたの。場所が場所だからいやだなあって思ってたんだけれど、見えちゃった?」  「ならいいけど」  ニコはまだなんとなく腑に落ちない様子でわたしの顔をまじまじと見てから、  「違うならいいよ。ばあちゃんも心配してたんだ。帰りがけに。本当に抱かれていたらまずいって。よっぽど強く祓わないと、本人も抵抗しないと手遅れになるって」  手遅れ。  ……抱かれた。今朝方の夢では、何度も何度も。  わたしが、死ぬ?  怖いけれど。なんだか現実味がわかない。  「心配してくれてありがとう」  わたしはちょっと無理して笑って。そしてそれはやがて本当の笑みに変化していくのを自覚した。  目の前のニコは農夫のように大きな袋を背中に担いでいる。  漫画オタクだけれどこんなことにつきあって真剣に心配してくれて。  嬉しい、と素直に思う。  それに、かっこいいな、とも。  「ニコ、本当にありがとうね。素敵なおばあさまに会わせて下さって、こんなにも心配してお土産を頂いて。またお礼に伺いたいな」  「もちろん、いつでも連れて行くよ。で、クミ」  「ん?」  「俺、一緒に泊まろうかって聞いたんだけど?」  「気持ちだけでいいっていったじゃない」  「いや、気持ちだけじゃ守れないから」  クミが心配だ、とニコは繰り返す。  これだけのことをするのだから心配ない、お泊り不要、とわたしが言い張る。  ───やがて、この数日ですっかり見慣れた城門が視界に入ってきた。  門番兼庭師のピエールさんの姿がちらちらと見え隠れしている。  「ピエールさん、ただいま戻りました!」  「これは、クミ様……?」  お帰りなさいませ、といいながら振り返ったピエールさんは、傍らに立つニコを見て訝し気に眉をひそめた。  「やあ、こんにちは」  「……クミ様、このかたは」  感じよく挨拶するニコにろくな返事もせず、ピエールさんは剣呑な目をしてわたしを見た。  人当たりがよくて初日からとても親切な彼らしくもない表情だが、気がつかないふりをしてにっこりする。  「ハチミツ屋さんの二コラさんよ」  「初めてじゃないよね、俺たち」  「クミ様、もちろん存じておりますが」  それなりに栄えてはいるが南仏の田舎町。互いに知らぬ仲ではなくて当然だ。  ニコの気安い言葉を、ピエールさんはまたも丁重にスルーした。  「なぜ彼をお連れに?」  「荷物を持ってくれたの」  「……それはまた。ゴダールの若旦那、ここからはわしがそれを持ちましょう」  「いや、俺が持つよ。部屋まで届ける」  ニコは笑顔とともに、しかし毅然とした態度でピエールの申し出を断った。  「しかしそれでは」  「気遣いは無用だよ、ピエール。というより察してくれないかな。クミとちょっとでも長く一緒にいたいんだ。男ならわかるだろ?」  感心しないな、とでも言わんばかりの顔でピエールさんはわたしを見た。  わたしが狼狽える必要はないのだけれど、なんか親の不在に彼氏を引っ張りこむような気分なのは確かだ。  「ピエールさん、お仕事続けて。あの、本当に、荷物持ってくれただけなの。部屋まで届けてもらったらお帰りになるから」  「……わかりました」  黙礼してようやくピエールさんはニコとわたしを通してくれた。  「感じ悪いな、あいつ。俺を追っ払いたがってるみたいじゃないか」  俺、納品で何度もココに来てるし、そもそも子供のころから知ってるはずなのにとニコは憤慨している。  確かに奇妙だった。  顔なじみにとる態度ではない。   けれど、わたしが使わせて頂いている部屋にたどり着いて、ハーブの飾りつけ(というかハーブによる結界作成?)を手伝ってもらっているうちに、そのことはすっかり頭から抜けてしまった。  ……もっとちゃんと考えればよかったのだ。        
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