さなぎの兄

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 ようやく目覚めた兄の姿に両親は大いに喜び、何か大きな存在に向けて感謝し泣いた。しばらくは入院の日々が続いたが、やがて退院も許可されて自宅に戻ることとなった。  ずっと一人で使っていた部屋に兄のベッドが運び込まれ、共に過ごす時間が増えたことを俺は単純に喜んでいた。いつまでも心配そうな両親に、何かあったら僕が助けるから大丈夫、と胸を叩いてみせた。  それまで一人っ子のように両親を独り占めしていた俺だったけれど、あの日から全てにおける優先順位は丸ごとひっくり返り、兄になついて離れなくなった。  兄のそばにぴったりとくっつきながらも、本当はいつも兄の耳が気になっていた。だけどあからさまに見る事も出来ず、眠る前、兄が目を瞑っている時だけその耳をじっと見つめるようになっていた。  すると、寝入ったかと思っていた兄が静かに声を発した。観念した、とでも言うような様子で言う。  ――見てた?  ……見てた。  病室で耳に幼虫が入った時のことだろう。拾い上げた幼虫が兄として起き上がったのを見ていたと、俺は素直に頷き答えていた。  ――あの人たちには内緒だよ。  口元に人差し指を当ててみせる。しぃ、と声を潜めて続けた。  ――ずっと待ち続けてようやく目覚めた息子が本物ではないなんて、父さんも母さんも可哀そうだから。  兄は自身があの幼虫であるという自覚があるらしい。だけど眠り続けていた間に受けた外部からの情報や刺激などの記憶と意識も保持していた。知らないはずの俺の名前を呼んでくれたのもそのためだ。  俺はこくりと頷き、秘密を共有することを誓った。だけど、と思う。  ――兄ちゃんはほんものだよ。  視線を合わせてそう言うと、兄は不思議そうに瞬いた。  優しい兄の中身と糸くずのような頼りなげな幼虫は、あの時きっとゆるやかに混ざり合ったのだ。記憶と肉体を分かち合い、俺の兄として目覚めてくれた。  兄は幼虫で、幼虫は兄だ。ふたつは同じものになったのだ。  ――君は優しいばかだね。  兄はそう言って苦笑した。嬉しそうに見えたのは、きっと自惚れではないはずだ。
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