弟へ

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 横浜の病院で看護師として働く五十路の私のユニホームのポケットに入っている携帯電話に着信があった。仕事の合間に着信履歴を確認する。84歳になる叔父、順一おじさんからだった。順一おじさんは母の兄で、故郷の長崎に住んでいて交流もほとんどなくなっていたが、半年前の4月に順一おじさんと母の弟である孝彦おじさんが末期癌で余命3か月と宣告されてから、看護師の私に電話で状態の報告をしてくるようになっていた。  着信履歴には、順一おじさんからの着信の5分後に母からの着信もあり、孝彦おじさんが亡くなったことを知らせるためだろうと予想がついた。もし危篤だという知らせでも、直行便のない離島に住む孝彦おじさんのところへ駆けつけることはできないと誰もがわかっているので、高齢の叔父も母も遠くから状況を聞かされ、受け入れて、苦しまないようにと祈るしかできなかった。  私が小学生の頃まで、二人の叔父は私たちと同じ横浜に住んでいてよく顔を見せてくれていたが、都会の空気が合わなかったのか田舎育ちの叔父たちは故郷に帰っていった。しばらくして釣りの好きな孝彦おじさんは、仕事の時間以外は釣りをしたいからと離島に永住していた。  私は電話の内容も知らないのに孝彦おじさんが亡くなったのだろうと淡々と考えられるのは、仕事柄人の死に慣れているからだろうか、それとも姪という血のつながりの薄さからだろうかと、自問自答しながら昼休みに順一おじさんの残した留守番電話のメッセージを聞いた。 『た、孝彦が死んだ……もう少しは……大丈夫と思とったが……』  不意に涙が込み上げて溢れた。孝彦おじさんが死んだことへの悲しみでなく、呻くように弟の死を嘆く順一おじさんの声が、悲愴で電話を握ったまま両膝を畳についてうなだれている姿が私の耳から入ってきたのだ。  人の死が悲しいのは、残された者の悲しみと寂しさが波紋のように伝わってくるからだと初めて知った。
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