5年前の指輪

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 10年目の記念日。  1年目、2年目の記念日を思い出してしまう。柊斗は毎年サプライズでプレゼントを用意してくれていた。そのプレゼントが何であれ、私は嬉しかった。  5年目の記念日、柊斗は指輪を用意してくれた。学生の頃から付き合っている彼だけど、指輪をくれたのは初めてだった。私は少しだけ、プロポーズを期待した。だけど彼からその言葉は出てこなかった。  指輪をつけてみると、サイズが合っていなかった。そもそもサイズを伝えていなかったから当たり前なんだけど、薬指よりもひと回り大きい指輪が不恰好で、泣けてきた。プロポーズを期待していたと言えなかった私は、指輪のサイズを間違えた彼を責めた。本当は好きなデザインだったけど、好みじゃないと言ってしまった。  その翌年から、サプライズプレゼントはなくなった。記念日の話題すら出さなくなった。私から「記念日は新しいレストランに行ってみたいな」と言ってみても、「そうだね」と軽い返事が返ってくるだけだった。  記念日を2人で楽しまなくなってからは、昔のことが懐かしくなった。記念日じゃなくっても、毎日が記念日のように楽しかった。毎日が特別だった。特別な人と一緒に過ごせること自体が、特別だった。  私は30を過ぎた。正直、結婚に焦っている。周囲からは幸せそうな報告が届く。何で私だけ。学生の頃、羨ましがられたのは私の方だったのに。柊斗と校内を歩いているだけで、羨ましがられていたのに。未来の夫婦って言われたのに。結婚という言葉にリアルさが出た今、夫婦になれていないのは私たちだ。  幸せなそうな報告に嫉妬してしまう自分が恨めしい。なぜ素直に「おめでとう」と思えないのだろう。私も「おめでとう」と言ってほしいだけなのに。  10年目の記念日は、サプライズがあるんだろうか。ないはずなのに、期待してしまう自分がいる。期待しちゃダメだと何度も言い聞かせる。  机に入れている、指輪を取り出した。5年目の記念日、柊斗が用意してくれた指輪。あの時私が彼を責めなければ、違った今があったのだろうか。  デザインはやっぱり可愛くて、薬指にはめてみたい衝動に駆られる。だけど、あの頃より太ってしまった私の指には、むしろあの頃よりもサイズ感が合うような気がして、なんだかそれも惨めで、いつも眺めるだけにとどめる。  今日は日曜日。柊斗は繁忙期真っ只中で、休日出勤らしい。毎日忙しそうで、今日も全然連絡が来ない。仕事で記念日どころじゃないんだと思うと、心が少し楽になる。記念日だけど、私の家には来てくれないんだろうな…。明日も仕事だもんな…。忙しいんだから、ちゃんと休んでほしいよ…だけど…。そんなことを思ってしまう私は、とてもワガママなんだろう。  夕方頃、スマホが鳴った。ベッドでうとうとしていたけれど、メッセージを見て一気に目が覚めた。柊斗からだ。 −仕事、終わりそう。今日はそっち行っても良い?  ドキドキした。記念日、忘れてなかったんだ。だって10年目の記念日だもん。一緒に過ごしたいよ。特別な人だもん。  待ってるよ、と返事をして、シャワーを浴びた。最近買った可愛い下着をつけて、彼好みの服を着た。メイクも、可愛く見てもらえるよう頑張った。鏡に写る私は、いつもよりちょっとだけキレイに見える気がする。特別な人のために頑張ると、そう見えるのかもしれない。  あまり凝ったことはできないけど、料理も頑張った。疲れている彼が癒やされれば、そう思った。  だけど、彼はなかなか来ない。連絡が来た時間を確認する。16:36と表示されていた。今は、21:07。…仕事が忙しいのかな。遅くなるって連絡もできないくらい、忙しいのかな。  料理はすっかり冷めて、私の気持ちも冷めていくようだった。本当に、彼は特別な人なんだろうか。彼にとって私は、特別な人なんだろうか。  22時頃、電話が鳴る。 「ごめん!後輩が先方のクレーム隠しててさ、ホントごめん!今終わったから、すぐ行くよ」 「…うん」  返事をするので精一杯だった。彼が大変なのは分かっているはずなのに。  彼が家に来たのはその30分後くらい。冷めた料理を温め直した。彼はそれを食べながら、ずっと仕事の愚痴を言っていた。  サプライズを期待していたわけではない。10年目の記念日を、特別な人と一緒に過ごしたかっただけなのだ。だから何も問題はない。  …彼にとって、私にとって、本当に特別な人なんだろうか。  そう考えると、特別な人と過ごしているわけではないのかもしれない、と思えてきた。そもそも誰との記念日なんだろう。  彼は、ご飯を食べ終わったら「美味しかったよ、ありがとう」と言って寝室に行った。期待しちゃダメだと思って、わざと時間をズラした。食器を軽く片付けてから寝室に入ると、彼は既に寝息を立てていた。  泣きわめきそうになる自分を抑えながら、バスルームに向かった。鏡に映る私は、いつも通りの私だった。さっきはちょっとだけキレイに見えたのに。いつも通りの私だった。  誰を責めれば良いんだろう。私は明日、どんな顔をしてどんな言葉を彼に言えば良いんだろう。…何事もなかったように「おはよう」と言う自分が想像できた。  これが日常なんだ。私と彼の、日常なんだ。記念日だからといって、特別なことはしない。日常を過ごせているのだから、それで良いのかもしれない。そんなことを考えながら、もう一度寝室に向かった。  ぐっすりと眠る彼の隣で、私も目を閉じた。5年前にもらった指輪が思い浮かんだ。あの時私が素直になっていれば。…今素直になれていない自分を棚上げして、5年前の私を責めた。  隣で眠っているのに、随分遠く感じた。彼は特別な人なんだろうか。日常を一緒に過ごせるからこそ、特別なんだろうか。近いはずなのに、随分遠い。触れられる距離に彼はいる。だけど私は、彼に触れることができなかった。
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