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「──……っていう感じなんだけど、どうかな」
一瞬の沈黙、そして私の口から溢れる感嘆のため息。
放送室はミーティング室にて、今日から能鷹くんの読経練習を早速行っているのである。
彼は手元の紙面(ネットで拾ったお経が書かれている)に落としていた視線を、私の方に向けてもたげた。 “私の方”というのは、今し方能鷹くんがアドバイスを求めたのは私ではないからだ。
今日、この場にはもう一人いる。
「やっぱり、生で聴く声は素晴らしいわ」
私たちに背を向けて、ミーティング室の壁と向かい合いながら椅子に座る彼女──アオイは、こくこくと頷きながら拍手を送った。 能鷹くんが少しだけ嬉しそうな表情を作っているのは、勿体ないことにアオイには見えていない。
今回、アオイは能鷹くんの演技指導係として呼んでいた。 否、アオイの方から積極的に参加表明をしたのだから、呼ばざるを得なかったと言うべきか。
「それなら今日から練習しないとね!」
それが数時間前のこと。
アオイに能鷹くんの参加表明を告げると、彼女の双眸が星を散らばめたように輝いてしまったのだ。 無論、能鷹くんの匿名希望は守らねばならないから、
「演劇部の練習はどうなの」
「録音した音声を聴くのではダメ?」
「そもそも匿名性が」
と迂遠的に放送室から遠ざけたわけだけれど、アオイは
「別に主役を張るわけじゃないから」
「生の方が直ぐに指導を始められる」
「あたしが壁に向かい合えば、顔を見なくて済むでしょ」
と返されてしまったのである。 その返答があんまり反駁の隙が無く、こうして今に至るのだ。 因みに能鷹くんが来る前に私たちは放送室にいたから、この時まで二人はお互いの顔を知らない。
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