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僕の一言で、アマネさんは不承不承ではあったものの体育館を出て行ってくれた。 本来なら僕はそそくさと委員長から離れるべきだったのだろうが、それでは、僕は非協力的な人間だと思われてしまう恐れがあった。
実は、体育館に行くことに若干の抵抗があったのだ。
今日も放送室へ向かう前に委員長は特別教室に顔を出した。 そこで彼女は改稿した原稿を持ってこう言ったのだ。
──是非とも、体育館での声の響きを知ってほしい。
と。
響きを知れば声の抑揚の付け方も変わってくるらしい。 この新しい原稿も、その響きを体感して書き直したとも言うのだ。
僕は委員長の演劇に対する熱意──執念とも言うべきか──に気圧されつつ、同時に、なぜ演劇部に入らなかったのかという疑問も抱いた。
とにかく、委員長は演劇を必ず成功させるため、体育館に足繁く通っているのは自明であり、僕はアマネさんの提案に躊躇したのだ。 仮にも委員長と遭遇すれば、僕がアマネさんに隠している二組のナレーター役が露見するかもしれない。 それだけは避けたかった。 だからといって放送ブースの確認に付き添わないのも不自然になる。
──多分、大丈夫だろう。
つい、そんな不安定な確信のまま、ここへ足を運んだのだが──。
「たまたまタイミングが合って良かったよ」
委員長が口許を綻ばせて言う。
結果として僕の確信は脆く崩れ、アマネさんに不信を抱かせる羽目となったのだ。 何か嫌な音を立てて、歯車がギシリと動き始めたような気がした。
「能鷹くん、調子はどうだい」
調子、というのはもちろん、ナレーター役のことであ?。
「……まあまあかな」
正直、何が正しいのか分かっていない。
配信アプリで朗読をと思ったのだが、それではアマネさんにバレてしまう。 ナレーターについては僕の自己完結にしなければならないのだ。
「ふむ……それなら、私が指導しようか」
「……は?」
「私が能鷹くんの演技指導に一役買うと言っているんだ。 今のところ、原稿は完成形に近いから、私にも時間的余裕があるからさ」
「……でも」
「部活との兼ね合いを憂慮しているなら、安心してくれ。 スマホさえあればいつでも指導が出来るからな」委員長は右の手のひらをそっと差し出し、「能鷹くん、君の連絡先を教えてくれないか?」
あの後、委員長と長く会話をすることはなかった。
委員長自身、連絡先交換が終わると「私はもう少しここにいるから」と演劇部の練習に視線を注ぎ始めたので、僕は早足で放送室へ戻ったのだ。
アマネさんは委員長について案じていたようだけど、僕は「気にする必要のないこと」で貫き通しておいた。
今日の天候と相まって、僕の胸の内には、僅かながらな雨雲が、にわかに濃さを増して立ち込めるような気がした。
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