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茶の間には、信風と名乗った若侍がぴんと背筋を伸ばし座している。刀は脇に、きちんとまっすぐに置かれていた。首の布は巻いたままだ。凛としたその姿はまさに剣士らしい。
信風の向かい側には八雲が座し、片膝をたててくつろいでいた。まるで自分の家状態である。
(人ん家に勝手に上がり込んでおいて、図々しい奴)
今に始まったことではないけれど。
八雲の様子を腹立だしく見遣りながら、なぜか志音は流しに立ちお茶を淹れさせられていた。
「くそ、なんで俺が……」
八雲に客人にはお茶を出すものだと言われ、渋々従っていた志音である。そもそも客人などではない。勝手に押しかけてきた迷惑極まりないあやかしだ。
(それとも幽霊か?)
どちらにしても、かかわりたくないのに。
心の中でぶつぶつ文句を言いながら、三人分の湯呑にお茶を注ぐ。直接文句を言っても、うまいことかわされるので、こちらの神経がすり減るばかりだ。
志音が愛想のかけらも出さず、無言で湯呑を置くと、信風は深々と頭を下げた。
「すまぬ。いきなり押しかけてしまい、茶まで振る舞っていただくとは」
まったくだ、と志音は心でつぶやく。
「気にすることはないよ。君は客人なのだから」
「あんたが言うなよ!」
思わずつっこんでしまった。八雲は相変わらず素知らぬ顔だ。
「で、話ってなに? 言って置くけど、話きくだけだからな。頼みなんてきく義理もなし。話をきかされるのだって迷惑なんだよこっちは」
「志音」
八雲が諌めるように言う。
「人でないといえ、思い悩んでいる相手にそんなことを言うものではないよ」
志音はむっとするも口をつぐんだ。八雲の言う通り、信風は視線を落とし悲しそうな顔をしていた。膝の上で結んだ手に力が入っているのが傍目でも分かった。憂いを帯びた横顔はとても儚げだ。
「すまない。迷惑だということは承知のうえで、参ったしだいだ。無礼をどうかお許しいただきたい。――私は願い桜に所縁のある者。このたび、願い桜が眠りにつくときき、いてもたってもおられず、志音殿のもとへ参ったのだ」
(なんで俺のとこなんだよ)
志音は口をへの字にしたまま、文句を言いたいのを我慢して耳だけを傾けた。
「私はかつて、謀反の罪を着せられこの地へ逃れてきた。その際に、願い桜――小春に出会ったのだ。桜があった場所は、その昔小さな寺があった。私はしばしそこで従者とともに身を隠していた。だが、追手に見つかってしまい、私は斬首された」
信風は首に巻かれた布を少しずらした。痛々しい傷に、志音は顔をしかめる。
「小春と過ごした日々は、ほんの短い時だった。だが、私の中では今でも、色あせることなく輝き続けている。自由など皆無であった私にとって唯一無二の、かけがえのない日々であった」
大切そうに語る信風の表情が穏やかになる。だがすぐに元の思いつめた表情へと戻った。
「私は死してもなお、小春のことが忘れられなかった。花が咲く季節だけ、現世へと戻り遠くから見事な花を慈しんでいたのだ」
「そんなに未練たらたらなら、声かければいいだろ」
志音は気だるげに片肘をつきつつ問う。
八雲が呆れた様子でこちらを見たけれど、完全に無視した。
「言葉を交わせられないのだ。人々の願いを受け止めてきた彼女と、取るに足らぬ亡霊の身の私では格が違い過ぎる。小春の強い霊力にあてられ、私は近づけぬ」
「確かに、願い桜は長い時を生きてきたあやかしだ。いや、もうほとんど神の領域に近いのかもしれない。ゆえに文字通り高嶺の花だ。……切ないものだね。近くにいるのに手を伸ばせないとは」
八雲は気の毒そうに信風を見遣る。
「私は小春ともう一度話がしたい。小春と過ごしたあの日々が、一番幸福であったと伝えたい。あの時、伝えそびれてしまった言葉の数々を、彼女に伝えたい。しかし」
信風は目を伏せる。
「私は過去、心優しい小春につらい思いをさせてしまった。小春に近づけないのはその罰なのだと、あきらめていたのだ」
次に信風は志音に視線を移した。
「だが君が、人の身でありながら小春と言葉を交わしているのを見かけてしまった」
期待をこめた双眸で見つめられる。あんたのせいだ、志音はたまらず八雲に胡乱な視線を投げる。
八雲は少しも悪びれもせずに肩をすくめてみせた。仕方なく、志音は言う。
「俺に、あんたの言いたいことを願い桜に伝えてほしいってことなのか」
「いや」
信風はいっとう強い瞳を向けた。志音が一瞬、気後れするくらいに。
「私を、君に取り憑かせてほしい」
「何だって?」
志音は耳を疑う。
「ははは。生真面目そうに見えて、よく思い切ったものだ」
「笑いごとじゃねーから!」
のん気に笑う八雲を横目に、志音は目を吊り上げる。
「そんな胡散臭いことさせられるかっての! だいたい、相手はあんたになんて会いたくないかもしれないだろ。言ったよな、つらい思いをさせてしまったって。ならあんたのことなんて思い出しくないかもしれねぇじゃん。……会いたいっていうのは、ひとりよがりかもしれないんだ」
周りの気持ちも考えないで、突っ走ったところでいいことなんてない。あやかしが見える、と好き勝手に自慢していたかつての自分がよぎってしまい、志音はやむなく口を閉ざす。
「……そうだな。志音殿の言う通りだ。思い出したくもない記憶をよみがえらせてしまうかもしれぬ。私は二度と、小春にあのような思いをさせたくはないのだ。――すまない」
信風は考えを改めたようだ。さっきとは違う、落ち着いた瞳に戻る。
「危うく、私は間違いを犯すところであった。まったく自分のことしか考えていなかったとは、恥ずかしい限りだ」
信風は傍らの刀をつかみすくっと立ち上がると、また一つ礼をする。
「夜分遅くに、邪魔をした。やはり私は、彼女の目に触れぬ遠くから小春に別れを告げるとしよう。それでは」
信風は律儀にも、きちんと玄関から去っていった。
「いいのかねぇ、これで」
彼を見送った八雲が意味深に問いかけてくる。
「……別に。俺には関係ないし」
二度とあやかしとはかかわらない。
志音は自室へと戻る。八雲はついて来なかった。
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