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――新学年の始まりは少しだけ非日常だ。志音はざわざわと浮足立つ教室の、窓際の席につくとふうっと一つ息をついた。
「やっと着いた……」
三時間目がもうすぐ始まる頃合いだった。
久しぶりにあやかしの世へ行かされたせいでどっと疲れてしまった。あちらの世にいるだけで体力や精神力が削られていく。
本来、人が出入りしていい場所ではないのだ。志音でなければ、意識を失ってあやかしの世で命を落としてしまうかもしれない。そうなれば、現世では神隠しといわれて、永遠に行方知れずとなるだろう。
自分から心を開いていないせいか、小さい頃よりもあやかしたちに遭遇する機会は減った。無理やりにかかわってこようとしてくる八雲のような、へんな妖怪もいるけれど。
妖怪たちにかかわりたくない志音にとって、八雲は目の上のたんこぶみたいな存在だった。
「入学そうそう遅刻してくるとは、なかなかやるな」
不機嫌を顔に描き、むすっとして頬杖をついていると、とある男子生徒が前の席に着いた。短髪に猫目で活発そうな男子だ。彼の名は二階堂(にかいどう)蒼佑(そうすけ)。席が近いこともあり、入学式当日から話すようになった。
たぶん、これからの一年間は彼とつるむことが多くなるだろうと予想していた。彼とは気が合いそうだった。
「バスに乗り遅れた。田舎だからさ、絶対寝坊できないんだよ」
「まじか。俺んとこも田舎だけど電車通ってるからまだましか」
まさか本当のことは言えない。変な目でみられて、人間扱いされないのはたくさんだ。
「蒼佑、部活何入るか決めた?」
「いや。つーか俺は帰宅部でいいや。めんどくせぇし」
蒼佑は心底だるそうに首を振った。見た目的には体育会系だが、彼は割とめんどくさがりのようだ。志音は内心ほっとする。そのほうが気兼ねしなくていい。
志音自身、どちらかというとインドア派だったので、体育会系は苦手だった。
「俺も帰宅部かな」
だからといって文化部もこれといって興味をそそるものはない。とにかく平穏無事に高校生活を送ることが願いだ。
「そっか。やっぱお前とは気が合いそうだわ。そんじゃ帰宅部どうし、仲良くしような」
蒼佑がにかっと笑ったとき、三時間目始業のベルが鳴るのだった。
その日の放課後のことだった。
「藍沢(あいざわ)志音くん、ですね」
見遣ると、黒ぶち眼鏡をかけた神経質そうな男子生徒と、生真面目そうだけれど、綺麗な女子生徒が二人並んで机の前に立っていた。何となく雰囲気で上級生だろうことは分かる。生徒会にでもいそうな二人だ。
「そうですけど。何か?」
いくらか身構えた。中学生までクラスから浮いていたので、無駄に警戒する癖がついてしまった。何か嫌なことを言われるのではないだろうか、罵られるのではないだろうか――少なくともこのクラスには志音のことを知る人たちはいないのに。トラウマのせいで人間不信だ。
知り合いがあまりいない、なるべく地元から遠い高校を選んだのもその理由からだ。
「突然ごめんなさい。僕は二年A組の柳瀬(やなせ)和真(かずま)と申します」
男子生徒のほうが礼儀正しくおじぎをした。
「二年C組、秋月(あきづき)彩夢(あやめ)」
対して、隣の美少女は淡々と名だけを述べた。
「はぁ……」
気のない返事をしつつ、二人に覚えがないことにほっとしたが、相手は自分の名前を知っている。まさか知り合いではないだろうか。再び不安がおそってきた。冷や汗が出そうな心地で、志音は二人が話し始めるのを待った。
「僕たちは、あやかし同好会です」
「なっ……」
どきりとして言葉を失う。
いや待て、と心に呼びかける。まだ自分の能力のことを知っているかどうかは分からない。ここで動揺してしまってはよけいあやしまれてしまう。
気づかれないように息を吐く。
「俺に何の用ですか」
「実は、同好会のチラシを新入生の皆さんにお配りしていたところ、志音くんの元同級生という人に会って。――君は妖怪がみえるそうだね」
眼鏡の瞳が、燦々と輝いているのが分かった。本当は身を乗り出したくてうずうずしている、というような。
対して、志音は目の前が真っ暗になる。元同級生……誰かは分からないが、きっと面白半分で話をしたのだろう。過去にたった一人も、味方になってくれた生徒はいなかったのだから。
「なにそれまじ?」
あざとく話をきいていた蒼佑が首をつっこんできた。
「そんなわけないだろ」
顔がひきつっているのが分かるが、懸命に普通を装う。
「ぜひ藍沢志音くんに妖怪同好会に入っていただきたく……」
「僕にそんなおかしな能力はありません。誤解を招くようなことを言わないでください!」
相手の言をさえぎり、志音は教室を逃げるように出た。
「おい、志音!」
蒼佑の呼ぶ声が聞こえたが、立ち止まらなかった。
むきになっては、よけいに不自然なのに。
分かっていても、いたたまれなくなってしまった。
迫りくるのは思い出したくもない記憶。冷や汗が背を伝う感覚がして、胃がきゅっと重く締め付けられる。
クラス中から馬鹿にされ、嘘つき呼ばわりされ、あげくには無視されて、学校には居場所がなかった。それはあやかしたちとかかわっているからだと気づいた。他と違うから、自分は仲間はずれにされるのだと。
あんな思いは二度としたくない。フラッシュバックしてくる記憶をふりほどくように、足早に学校を出る。しばらくして、歯をきつく食いしばっていたことに気付くのだった。
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