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「明日、俺が消えるって言ったらどうする?」
誰もいない車輌で二人。
隣に座る恋人は、いつもの調子でそんなことを呟いた。
「消えるって、例えば?」
「いなくなるってこと。煙みたいに、ほら、ふわーって」
「想像できない。もっと語彙力鍛えて」
「厳しい」
「旅行中に変なことを言うお前が悪い」
ムスッとしながら窓の外を見る。夕日が綺麗だ。
そもそも、こんなところまで来たのは「行きたい」と駄々を捏ねられたからだ。そうじゃなかったら、こんな遠くまで来るものか。
「ごめん」
「というか、消えたいのか?」
「そういうわけじゃないんだけど」
「……それとも、俺と別れたいって遠回しに言ってる?」
「まさか!」
「じゃあ、急に何なんだよ」
どうやら俺は、だいぶ動揺しているようだ。
物心ついた時からずっとそばにいる存在がいなくなるなんて、考えられないし、考えたくない。
「実は俺、ちょっと先の未来から戻って来たんだ!」
「…。へー」
「そんな目で見ないで」
「馬鹿だなとは思ってたけど、ここまでとは…」
「それで、消えたあとの話なんだけど」
「続けんのか…強心臓だな」
「いいから聞いてくれよ。それで、俺が急に消えて…その、お前はさ、俺のことを忘れて、幸せな家庭を作るんだよ」
「お前の中の俺がだいぶクズなことは分かった」
「クズでも好きだけど」
「おい、否定しろよ」
「それ見てさ、もしかして、俺がいない方が幸せなのかなって思って」
「…。本気で言ってるなら、殴るぞ」
「ま、待って、続きを言わせて」
慌てたようにぶんぶんと目の前で手を振られ、しかめっ面で口を閉じると、ぎゅっと手を握られた。
「俺、言えなかったことがあるんだ」
「…何」
「そんな見ず知らずの人となんて結婚しないで。俺だけを見てほしい」
「いや、待て。俺も知らない奴なんだけど」
「ここは『もちろんだ』って言うところだよ」
はぁ、とため息を吐かれる。
いや待て、ため息を吐きたいのは俺だ。
「俺と一緒に、幸せな家庭を作ってほしい」
「…こんなところでプロポーズかよ。もっとシチュエーション考えておけっての」
「確かに」
「否定しろよ」
ぷ、と二人で吹き出す。
こんなところで男二人、何やってんだか。
「安心しろよ、お前のことは俺が幸せにしてやる」
「結婚してくれるの?」
「まぁ、実際の"結婚"ってのは無理だけど…そんなの、いくらでも手段はあるし」
「やった!良かったぁ。断られたら、ほんとに消えちゃうところだった」
「まだその設定引きずるのかよ」
「ほんとだって。断られたら、煙だとか泡だとかになって消えちゃうところだったんだ」
「人魚姫かよ」
苦笑しながらこめかみあたりを小突くと、顔をしかめられた。
「あ、悪い。というか、こんなところに傷…あったか?」
「うん? ああ、大丈夫。前からだよ」
そう言いながら、目の前の恋人は幸せそうに微笑んだ。その顔を見て、胸のあたりが掴まれたように、ずきりと痛んだ。
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