オーロラが照らす教室

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小さく手を振りながら『相変わらずね。』 少し頬が緩んでしまう。 和彦には人の警戒心を解いてしまうような不思議な何かがある。おそらくそれは彼の脳天気な口ぶりがそうさせるのだ。 当の本人は千代香を見るや、あっ、とこれまた気の抜けた驚き方をしながら、『久しぶりじゃないか!コレまで何があったんだい?!』とオーバーなリアクションで彼女に詰め寄る。 説明する気のない千代香は苦笑いしながら『ちょっとね』と軽く受け流した。 『君はいつも放課後に学校に来るんだね...最後にあったのは半年前だったかな?』 『そうね。』 『半年間何があったんだい?僕は てっきり事故に遭ったのかと。』 『そうよ。事故。』 『ふ~ん』となんとも言えない顔でこっちを見てくる。 話題をそらさなくては。 『それよりも宿題は?教室に来たのはそのためだったんでしょ?』 『あっそうだ!そうだったそうだった』えへへと笑いながら自分の机の中を探る。 『お!あったあった。』 和彦は2枚の紙を引っ張り出すと秒速で自分の鞄の中にしまった。 行動の早い男である和彦は『それじゃあ千代香さん、僕はもう帰るよ。帰るときは鍵と窓を閉めてね。それじゃあまた今度!』と、そそくさと教室から出ようとする。 きっともう、彼とは会えないだろう。 『ええ。おやすみなさい。』 千代香は少し寂しげに返した。 おやすみなさいと聞いた途端、彼の忙しそうな動きは止まった。 『千代香さん。あと25分後には「おはよう」になるんですよ。』 和彦の声とは思えないほどの静かな喋り方だ。 彼は知っていたのだ。 この茜色の正体が夕日ではなくオーロラであることを。 千代香が和彦と同じ世界の住人ではないことを。 千代香のいる世界の仕組みを。 『分かってるわ。そんなこと。』 『だったら何でここにいるんですか。 朝を迎えたらあなたは消えてしまう。そうでしょう?ここの校舎ははもうすぐ「朝」になる。その前に「夕方」の時空の地域に移動しないとあなたは生きていけない。』 『いいのよ。もう。』 『なぜ?せっかくの2度目の人生じゃないか。 永遠に止まった時空の中で年を取らずに生きていくのもいいことだろう? 諦めることはないよ。今なら地元の公民館の時空が午後5時だ。 後は代山さん家の庭は午後9時の時空なはずだよ。 今から行けば間に合う!』 そんなとこまで調べていたのか。 千代子は驚いた。 それでは私の気持ちも分かってくれるかもしれない。千代香は本当のことを話すことにした。 『飽きたのよ。私。』 『もう、図書館の本も、レンタルビデオ屋の映画も見終わっちゃったわ。もうそれが無くなったらほかに楽しいことなんて何も無いのよ。 誰もいる私の姿を見ることが出来ない。とても寂しくて冷たい世界。もういいかなぁって。』 『本当に何も思い残すことはないの?!そんな簡単に諦めちゃ....』 『和彦君を見ること。』 『え...?』 『思い残したこと。それだけ。』 和彦はしばらく惜しそうな目で千代香を見ていたが、諦めがついたのか教室の引き戸に手をかけ、背を向けながら言った。 『千代香さん家の家族が引っ越したときからなにかあったんだと薄々分かってはいたんだ。だから半年前、千代香さんが違う形であれ、別の人生を生きていることが分かって僕はうれしかったんだよ。』 『ごめんね。』 『いいんですよ。2度目のお別れですから。慣れてます。』彼はスタスタと廊下を出て行った。 『そうね。2度目のお別れね』 足音が聞こえなくなった時、彼女はそう呟く。 腕時計に目をやる。 後25分。十分読み終わりそうだ。 そしてふと窓のほうに顔を向けると肩を落とした人影が校門に向かって、とぼとぼと遠くへ、遠くへと歩いていくのが見えた。 不気味なオーロラが、彼の背中を赤く染めながら。
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