赤い唇の女へ

4/4
前へ
/4ページ
次へ
「ありがとうございます」 控えめな態度で少し足を後ろに下げる。 女は引っ張られるように前に踏み出し、さらにバシバシと睫毛を 動かし、大きく息を吸い込んで 唇はまた言う。 「あのな。最近、ここら辺に物売りの人が来るんやて。  子供のための教材やら、化粧品、宝石、雑貨とか海外のもん 何でもあるんやて。けど、外国のもんはわからんやろ。騙されたらあかんで。  最近はネットで何でも買えるけどやっぱり、人に面と向かって  薦められると弱いやろ。あたしも嫌って言えへんタイプやし」 女はそう言って肩をくねらす。 「この近所の人も、仰山いろんな物買ってはるみたいやわ。 ええもんかどうかは知らんけど。確か、何とかギュジューセールスって人。 とにかく騙されんようにしいや。あんたみたいにじっと黙って 可愛い振りしてる人はすぐに乗せられるんとちゃうか? あたしのところにはまだ来てへんねんよ。ちょっと大きい家やさかい 入りづらいんやろか。」 女の嫌らしい口元にうんざりして 「あの、私今から出かけるので、すみません」 と、遠慮がちにうつむいた。 女はあからさまに一瞬嫌そうな表情をみせるが、すぐに 「いやあ、引き留めて悪かったね。一人ボッチで可哀そうやと 思って、あたしが何とかしたげなあかんかなあって。また、 来るわな。あんたも、いつでもうちに来たらええよ。 うちには、こことちごて、大きい庭もあって気持ちええんよ。 ほな、いってらっしゃい」 女は大きな光る石のついた太い指をはためかせクルッと向きを 変えた。ゆっくりと辺りを見回している。次の獲物を探す動物のように。 私はやっと我に返った。 薄い唇でそっとつぶやく。 「今日は新築を狙ってきたけど、引き揚げよう。 出直してくるわね。そして、あの女に言ってあげよう。 今、あの女がしたようにとめどなく話をするわ。 あなたにピッタリの特別の商品をお持ちしました。外国の珍しい 高級品です。あなただけにお持ちさせていただきました。って。 きっと、倍、いいえ、3倍の値段で自分の物にするでしょう? あなたも人に頼れる日が来るわ。 今度は言ってあげる。 私が、ラグジュアリーセールスですって」 静かな住宅街を春の日差しがキラキラと照らす。空を見上げる 欲望の瞳もなめらかに光る。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加