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「やめよ。見苦しい」
突然、低い声が辺りに響いた。
「こ、これは……」
図体のでかい男が、戸惑ったような様子を見せた。声の主の方を見る。背の高い、男だった。この間見た綺麗な顔の男と、似たような着物を着ている。
「何を、肩をぶつけたくらいで。ここは、開封府だ。妓楼の女が自らの体を売るのと同じように、顔を売って生計を立てている者もいる。妬いて、いちいちつまらぬ事で口を出すでない」
宮中で働く者だと、確信した。それも、かなり上級の。しかし、何かしっくりこない。俺は別に、顔を売って儲けているわけではない。芸をしながら、稼いでいるのだ。そう言ってやりたかったが、やめた。俺は助けられたのだ、この男に。
図体のでかい男は顔を歪め、少し口ごもりながらそそくさと逃げていった。
「龍翠と言ったな」
宮中の男が、龍翠の方に近寄る。それからやはり素早い動作で、手に何かを握らせた。
「あの男にどのくらいの額をやったかは、知らぬが」
「……こんな、二倍どころの量ではないじゃありませんか。お返しします」
「黙って受け取れ。それから、簡単に自分の頭を踏ませようとするでない。もっと自分の体を大切にしろ」
「……しかし……」
男が、踵を返した。龍翠が、ありがとうございますと言って慌てて頭を下げる。集っていた人達が、何やらひそひそと話しながら少しずつ散っていった。
龍翠が、振り返る。そこではじめて、俺は龍翠の顔を見た。
頬に、なかったはずの赤い刺青が施されてあった。
「龍翠、お前、それ……」
龍翠は、黙っていた。 それから低い声で、
「行きましょう」
と言った。
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