第三話

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人目のつかない、路地裏。俺は近くにあった店で饅頭を二つ買い、龍翠にひとつを手渡した。置かれてあった木箱の上に、二人で腰を下ろす。 「これだから、ここは嫌いです」 龍翠が饅頭を一口食べ、飲み込んでから静かに言った。確かに、前に開封府に来た時も龍翠はどことなく調子が悪かった。いや、確かその時に龍翠は歌詞を忘れてしまったのだ。 「ここで一人前の芸が出来る芸人が、本物だろ」 自分で言っていて、違和感しか覚えなかった。一人前、か。一人前の芸人は、ごろつきとぶつかったくらいであんな情けない態度はとらない。 「成程、人が多い分、銭も手に入ります。しかし、面倒な人間は嫌いです」 「あの日の失敗から、開封がこわくなったか」 「……お忘れになってくださいと、言ったはずですが」 龍翠は眉間に皺を寄せ、勢いよく饅頭にかぶりついた。よくもそんなに、と思うほどの量を頬張っている。 「ひとつ、聞いていいか。俺、お前があの日見たものがなんとなく分かった気がするんだが」 龍翠の口の動きが、止まった。 「俺もこの間、見た。とんでもない美男子だった」 「……」 「惚れたか」 言いながら、やるせない気持ちに襲われる。そっけなく言ったつもりが、表情は自分でもわかるくらいに冷たくなっていた。 「……まさか」 「やはり、見たのだな」 「ええ、見ましたよ。田旭というのでしょう」 龍翠の声音も、やはり冷たい。田旭。名を、知っている。しかし、白藍に聞いて知ったとはどうしても思えなかった。 「男の俺でも、心を奪われそうになった。女が見たら、尚更だろうな」 「……確かに、顔は良いですが」 「が、何だ」 「私たちを、蔑んだような目で見ていた。それが許せなかった」 怒っている。そんな龍翠に少し、驚いた。 「……お前も、見たのだろう?この間もあの男が見物していったところを」 「開封府に来たら、必ずいます。あの目でちょっとばかり芸を見てから、颯爽と立ち去るのです」 「嫌いか?」 「……はい」 その言葉を聞いて、安堵している自分がいる。素直に、認めた。しかし、心の内はまだ晴れない。 「惚れてもいないのに、あそこまで動揺するものなのだな」 「……」 「あれがきっかけで、あんな化粧をするようになったのだろう。その刺青は、どうした」 「……これは」 「なぜ、刺青なのだ」 「化粧の手間を、省く為に」 「簡単には消えないというのに。わざわざ痛みにも耐えてまで」 「あのくらい、どうってこと」 龍翠の饅頭は、もうなくなっていた。対して自分のものは、少しも減っていない。龍翠がいかにも落ち着かない様子で、足をふらふらと揺らしている。
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