第一話

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それから、数日後。  紅隆様が五人の少女を一列に並べて、それぞれに挨拶をさせていた。 「彪林。頼んだぞ」 言われたのは、それだけだった。紅隆様が去ってから、俺は改めてひとりひとりの顔をまじまじと眺める。確かに、器量はいい。目は大きく、肌は白く、鼻筋も通っている。とある一人を除いて、あとは皆同じような顔をしているなと思った。一人を除いて。俺はその一番端っこに座っている一人の前に立ち、顔を覗き込んだ。 「お前、笑わないな」 そう言っても、そいつは表情ひとつ動かさなかった。名前は、ともう一度聞く。消え入りそうな声で、龍翠(りゅうすい)ですと言った。残りの少女の方を、ちらりと見る。皆頬を紅潮させ、うっとりしたように俺を眺めていた。また、龍翠の方を見る。確かに俺の目を真っ直ぐ見ているが、その表情はまさに『無』に等しかった。 「なんだ?お前」 龍翠は、答えなかった。少々気味が悪いと感じながら、俺は他の少女たちに話しかけた。俺が何か言う度に、少女たちはふふふと笑ってまた顔を赤らめる。時々、龍翠の方を見る。やはり、表情は変っていなかった。 まずは歌だ、と思った。現役で歌を歌っている女が、喉を悪くしてしまったという話を聞いた。俺は歌など歌ったことはないが、声の出し方は一応心得ていた。 「声が小さい。表情が硬い。音程が取れていない。もっと堂々としろ」 そう怒鳴って、俺は木でできた細い棒で龍翠の頭を打つ。噛み締められた龍翠の唇からは、赤い血が滲み出ていた。 「あとの残りは、合格。その調子で頑張れ」 少し気まずそうな表情で、そろそろと少女たちは出て行った。それを見届けてから、再び俺は龍翠と向き合う。よく見ると、他の少女よりもずば抜けて綺麗な顔をしている……と思えてきた。が、すぐにその考えは頭から追い払った。 「やる気があるのか、貴様」 「すみません」 「ほら、まただ。謝って済むと思っているんだろう」 「決して、そんな」 「行動で示せ。さもなければ、妓楼に売り飛ばすぞ」  もう一度、歌を歌わせた。まだ、表情が硬い。必死になりすぎている。まあ俺のせいなのだが、俺が何も言わずにただじっと聴いていると、龍翠の声は途中から震えだし、やがて消えてしまう。その度に、俺は龍翠を打つ。終いには恐怖で、例の「すみません」すらも言えなくなっていた。  なぜ、俺が龍翠にだけ厳しくしているのかはよく分からない。龍翠以外の少女は、とことん褒めて伸ばしてやった。指導の仕方については、どうせ紅隆様からは何も言われていないのだ。時には水を頭からかけ、近くの川に突き落とし、もっと太い棒で身体を打った。日が経つにつれて、龍翠の目の色は変わっていった。まるで、獣のような目に。それでも休まず、龍翠は歌の練習をし続けていた。歌だけでなく、噺も、芸人としての仕草も。身体中を痣だらけにしながら、龍翠は必死に俺と──いや、俺ではない何かと、戦っていた。
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