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「彪林。龍翠って子は、すごいねえ」
白藍が、しみじみと言う。もう龍翠達が来て、ひと月は経っていた。そう、ひと月しか経っていないのだ。ひと月で龍翠は……あそこまで変わってしまっていた。
「俺はそうは思いません、白藍殿」
「そうかい?みんな言ってるよ。彪林のやり方は少し度が過ぎているように見えるが、それにめげることなく稽古を重ねている龍翠は本当に素晴らしい、とね」
「……そうですか」
「あたしはてっきり、あんたは顔が甘いだけの男かと思っていたが、見直したよ。しかしどうして、龍翠だけにあそこまで厳しくするのかい。他の子には……」
「龍翠は、出来損ないですから」
「まあ」
白藍は顔を引きつらせて、苦笑した。自分でも本当にそう思っているのかは、分からなかった。出来損ない、か。しかし、どう考えても龍翠の歌は日に日に上達してきている。仕草もかなり女らしくなったし、口調も滑らかになった。俺は何も言っていないが、笛まで吹けるようになった。ときには、妖艶な笑みを浮かべることも。こんな女だったか、と時々疑いそうになるくらいに、龍翠は成長していた。
「まだ。まだだ。もっと自然に歌え」
棒で龍翠の肩を、強く打った。他の少女など、もはや視界に入っていなかった。俺は、今龍翠に稽古をつけている。お前らは、勝手にしていろ。口には出さなかったものの、雰囲気でそれを感じ取ったのか、他の少女はみな思い思いの練習をしていた。響き渡る五つの歌声の中で、やはりひときわ美しく聴こえるのが、龍翠の声だった。
「彪林様」
急に歌声が聴こえなくなったかと思うと、一人の少女が俺の方に近づいてきてそう言った。俺は優しく微笑んで、
「どうした?」
と言う。
「あの。私たちにも稽古を、つけてもらいたいのですが」
下を向きながら、少女は呟いた。残念ながらお前達に関心はないと思いつつ、俺は尚微笑みを崩さなかった。
「なぜだ。充分に出来ているじゃないか」
「……龍翠さんの方が、よく出来ていると思いますが……」
「いや、駄目だな。こいつは出来損ないだ。だからこうして、俺が稽古をつけてやらなければならない」
「しかし」
「お前は、素敵な声をしていると思う。どんな鳥の声より、美しい。透き通っていて、柔らかくて、それこそ春の風のようだ」
「……」
少し顔を赤らめて、少女はまた離れていった。すぐに、俺は龍翠の方に向き直る。
「何をぼうっとしている。歌え」
龍翠は、そっと目を閉じた。それから、整った形の唇をゆっくり開く。この女は、いつの間にこんな表情を覚えたのだ。俺の背中に、ぞわりと何かが走っていくのを感じた。
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