ドライフルーツ

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ドライフルーツ

大学時代、輸入食料品店でアルバイトをしていた。菅谷孝介さんはバイト先の先輩だった。輸入品を扱う店舗のスタッフにしては菅谷さんは地味だった。白いシャツにチノパン、黒いエプロンが制服でみんな一律のはずなのだが、こういう店舗には割と髪型を気にしたり、おしゃれにこだわるスタッフが多い中、菅谷さんは髪ももっさりしてるし、服もだぼぼだった。髪を切りに行くお金も時間ももったいないだとか、服はおさがりだとか言っていた。バイトメンバーで集まると基本は聞き手の菅谷さんだったが、二人でいるとよくしゃべった。大学院生で、海外によく行く菅谷さんの話は、自慢するでも気取るでもなく、純粋に驚いた町の様子や文化の違いをたんたんと話した。私は、そんな菅谷さんが親しみやすくて好きだった。ある日、ナッツの詰め合わせを菅谷さんと陳列棚に並べていて私はつぶやいた。 「私、カシューナッツが一番好きです。ちょっと地味だけど甘くてやわらかくて、疲労回復にもいいし」 菅谷さんみたい。最後のフレーズは言わなかった。 「あ、俺もカシューナッツ好き。栄養価高くて、総菜にもなるって最強だよな。去年、カリフォルニアに留学してたとき、めっちゃ物価高くてさ。今もそうだけど、貧相な生活してたんだよね。でもナッツとかドライフルーツとかは安くて、買いこんでずっと食ってた。」 「へえ。ナッツ姫ならぬナッツ王子ですね」 「投げつけないけどな。むしろ拾って食っちゃう」 世間の話題と重ねて言ったつもりだったが、王子という言葉を使ってしまったことに、自分で恥ずかしくなった。それからしばらくして菅谷さんと付き合うようになった。  大学院生は、暇人なのかと思っていたが、何かよくわからないがやたら忙しく菅谷さんとのデートは近所の公園を歩いたりだとかいつもはお金のかからないデートだった。しかし、その日はレンタカーを借りて郊外に出かけた。菅谷さんの運転はちょっと不安で、カーナビの指示も間違えるし散々だったが、はじめてのドライブデートに気持ちは浮ついていた。  16時になって国営公園についた。コキアを見た。初めて見るコキアは夕暮れと混ざって、向こうの向こう側まで広がって、自分がどこにいるんだかわからなくなって、目の前のコキアに視線を移した。隣にいる菅谷さんは、向こうの向こうを見続けていた。  すっかり暗くなった帰り、車内のラジオパーソナリティは、遠距離恋愛の相談に自分の考えを語っていた。「俺は無理だな。だって付き合ってる意味ないって思っちゃうもん。堪えられなくない?その恋に終わりがあるならいいよ。でも終わりって何。結婚?」つづきが気になったが、赤信号で止まったところで、菅谷さんがラジオのボリュームを下げて言った。 「あのさ……卒業したら、ロスに行くことにしたんだ。友達が会社をはじめたみたいで、俺も手伝うことにした。準備もあるし、だから今日で……ごめん。別れてほしい。ごめん」 私には時間をかせぐように、ゆっくりゆっくり聞こえた。私は、大事に引き出しにしまっていた言葉を探しきれず、言ってしまった。 「でも、またすぐ戻ってくるんですよね。大丈夫。待ってます」 菅谷さんは、慎重に言葉を選んでいた。 「今回は、いつ帰ってくるかわからない。というか、いられるだけあっちにいたいんだ」 分かっていた。いつかこうなることは。だから、そのときのために「気を付けてね、応援してるから」と言うイメージトレーニングをして、頭の中の引き出しにしまっていた。しかし、現実は厳しかった。ごめんと言われた一瞬で涙を流す準備が整ってしまった。聞いても抗いても無駄だとわかっていた。 「いや……うん。いいです」 こう言うのが精いっぱいで、次の言葉が出なかった。あとはただ、窓の方を向いて、ガラスに映る自分の泣き顔を見ていた。 「ごめんな」  次のバイトに行ったときには菅谷さんはやめていた。バイトのメンバーは送別会を開こうとしていたらしいが、連絡がつかないという。案の定、メンバーは私に聞いてきたが、別れたと告げると、私を励ます会をやろうということになってしまった。 本当にロサンゼルスに行ってしまった。私は、そのとき追いかけるつもり満々だったが、3年働いたバイト先の会社に就職も決まったところで、結局行動できなかった。私は、それから誰とも付き合っていない。誰かを好きになることもなかった。完全に菅谷さんを引きづっていた。
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