レディ・リヴァイアサン

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 ね、あなたタナベくんでしょ。  ほら、ハチシロ中学の。二年八組のさ。  あたし、レミだよ。アタニレミ。覚えてるでしょ? 時々一緒に帰ったじゃない。教科書見せたこともあったよね。タナベくんたらノートとらずに落書きばっかしてて。あの絵やたらうまかったよね。特に目が綺麗だった。  アハッ、思い出した?  そう、レミちゃん。思い出してくれて嬉しーな。  タナベくん、最近何してんの? こんな遅くまで仕事?  ……ふうん。ま、そんな気分な時もあるよね。あたしもさ、彼氏と同棲中なんだけどやってらんなくて。もういいっつって、飛び出してきちゃった。そういうときには必ずこのお店に来るの。カシオレが美味しくてね、そればっか飲んでる。  雰囲気もいいよね、ココ。ちょっと赤っぽい光でうすぐらーく、いい感じに照らされててさ。オトナって感じ。ふふっ。  あ、このお店初めてなの? そうなんだ。良いよー、ココ。行きつけにするにはぴったりだと思うな。  で、結局今どういう感じなの? お仕事は? ……へー。いいね。すてきな仕事ね。自炊してる? ……ぼちぼち? でもしてるんだ。偉いね。  あたしの彼氏はぜーんぜん料理できなくて。いっつもあたしが作ってるよ。仕事で帰ってきたら「飯まだ?」なんて言うから、今日はブチ切れちゃった。アハハッ。  古いよねえ、今時女が料理作るのがアタリマエ、なんて考え。そんなんじゃモテないっての。大体あたしも仕事してんだから、先に帰るのがわかってるアイツが作るべきで……。  ごめん、愚痴っちゃった。タナベくんのお話の続き、聞かせてよ。  そっか、なんとなくブルー、か。そんなときに愚痴る相手もいなくて、仕方なく夜のバーに、ね。なるほどー。  そういう人、きっと少なくはないと思うよ。大人になると、なんとなく夜にやるせなくなっても、受け入れてくれる場所があるからいいよね。子供のころ夜に家を飛び出しても、行くところなんて公園くらいしかなくて……あてもなく歩き回って、そのうち寒くなって、馬鹿らしくなって帰っちゃうのよ。  でもさ、最近物騒よね。知ってる? 隣町で一人暮らしの女が殺されてるのが見つかったって事件。三週間くらい前だっけ。二か月くらい前にはもう一人殺されてるし。これも女だっけ?  タナベくんだって危ないかもしれないよー? ふふっ。別に女ばかり狙うとは限らないんだからさ。まあでも、タナベくんってたしか柔道部だったよね? 大会で良い成績残してたりしたし、大丈夫かなー? ふふ。  はーあ。もう酔っちゃったかな。  殺された女の人、痴情のもつれ、とかって言われてるらしいよ。彼氏に殺されちゃったのかな。それとも彼氏が二股しててブチ切れて……とか?  いいよね、彼氏に殺されるのって。  あたし、彼氏に嫌われるくらいなら殺してほしいんだよねぇ。  今日も帰ったら平謝りだよ。嫌われたくないもん。喜んで家事兼用ラブドールになるよ。  女を飼う利点なんてそれくらいしかなくない? じゃなかったら誰がかまうのよ、こんなめんどくさい生き物。  大方そこが目当てでしょ?  あなただってそうでしょ?  アハッ。  ごめんごめん、じょーだんよ。ちょっとからかってみたくなっただけ。もちろんそれだけじゃないよね。うん、わかってるわかってる。  ごめんね、タナベくんたら、うぶに見えるんだもの。可愛くって。  ねえ、今カノジョいるの?  ……へーぇ、何よ、その「いたことはあります」みたいな返事。  あ、ほんとにいたんだ。そうなの? 何人?  えー、それは教えてくれないの? けちー。  高校時代さ、可愛い彼女いたよね? えー、知ってるよお。だってあの子かわいかったもん。お似合いカップルだった。  よく覚えてるねって?  あたし、昔のことをようく覚えていられるのよね。ほら、タナベくんのことだってすぐ出てきたでしょ?  記憶力が良いとね、嫌だったこととか、辛かったこととか。生きていけば生きていくほどそういうのが溜まっていくんだ。毎日誰かの言葉や行動に傷ついて、泣きながら生きてるの。好きな人に振り回されて、ずっと引きずっちゃうし。    なんで生きてんだろ、って思うのよ。  幸せのため?  幸せって一過性のものじゃない?  そんな時々気まぐれに与えられるもののためだけに生きるの?  辛くない?  死んじゃった方が楽じゃない?  死にたいなって思うことがそんなにいけない?  生きることってそんなに褒められること?  アハッ。  いいよね、お気楽に生きられる人は。きっとそれが人間として通常の形だわ。  うらやましいわね。  あたしは人間の失敗作だわ……。  ……ん? あれっ。つかないなあ。んしょっ。おかしいな、まだつくはずなんだけど。  え、ああ。うん。タバコ用。あたし吸うのよ。珍しいでしょ。  ごめん、タナベくん、ちょっとこのライターで火つけてみてくれる? なんかかたくって。  …………。  あっ。なによ、普通につくじゃない。ごめんごめん、ありがとう。ちょっとそこ置いといてくれる? 箱しまっちゃうから。  はァ……つらい、なあ。  生きてんの……。  毎日毎日心のどこかがやすりか何かで削り取られていく感じがする。生まれてくるのは苦しみだって、そういう考えって確か仏教にあるよね。生きるのも死ぬのも、病むのも老いるのも全て等しく苦であるからってやつ。  ほんと、そうだよねえ。  きっとあたし、毎日辛い思いをするために生きてるんだ。  ごめんね、めちゃくちゃ酔ってるみたい。あたしもブルーなんだ。  なんで喧嘩なんてしちゃったんだろう。あたしが悪い子だからかな。やっぱりあたしなんて死んじゃった方がいいのかなあ。  アハハ。  ………………………………えっ?  今度また会わないかって……どうして?  ……タナベくんも、生きているのが辛いの……?  一緒に?  …………。  いいねぇ。すてき……。すてきね。一緒に死ぬなんて。  どこで会うの?  ――へえ、そんなところに有名な自殺スポットがあるんだね。みんな死んだところなら、きっとすぐ受け入れてもらえるから寂しくないね。  えっと……。  ごめん、あの……言葉が見つからなくなっちゃった。  あたし、実は……高校時代、好きだったんだ。  えっ? ……やだなあ。タナベくんのことに決まってるじゃない。ほんとはね、好きだったんだよ。だから……だから、嬉しい、なあって。へへ。  ちょっと……席外すね。  えっと……。  あの、あのね、嬉しかったよ。一緒に死のうって言ってくれて。ほんとに。  え? いや、好きだったの昔だから! もう、やめて、からかわないでよ。やだ……。  でも、あの、あたし、ね。さっきは死にたいなんて言ってたし、ずっとそればっか考えて生きてきたんだけど、実は最近新しく見つけたのよ。生きる理由。やっぱそれがあるから死ねないかもって思って。  ふふ、何だと思う?  あたし、昔のことをよく覚えてるって言ったでしょ? それがヒントだよ。わかる?  ……ぶっぶぅ、じかんぎれー。  ふっふっふ。あたしね、復讐がしたいなって思ってるんだ。  ん? そりゃあ、憎い人にだよ。殺したいほど、憎い人にだよ。  不思議だよね。定期的にその人たちのことを思い出して、そのたびにずっと辛くてたまらなかったのに、復讐しようって思ったとたん、なんだかほわってしてね、心があったかくなるの。愛おしくさえなってくるよ。ああかわいいなあ、かわいそうだなあ、あたしなんかに憎まれて恨まれてかわいそうだなあ、って。ぎゅって抱きしめたくなるんだ。ほおを両手で包んで、じいっと見つめるの。かわいいなあって、おもって、キスしたりなんかして。いじらしくてどうにかなっちゃいそう。すごいよね、あんなに憎んでた人が、愛おしくてたまらなくなっちゃうのよ。なんてすてきなんだろう。  そう考え付いた途端にね、生きようって思えたんだ。だから一緒には死ねないかな。ごめんね。  もうちょっと飲もうよ。……あれ、どうしたの。そんなに怖い顔して。ほら、飲も?  あ、職場から連絡だ。ちょっと見るね。  ………………………。  …………………ふふ、なぁに、そんな顔して。  ね。  さっきからつまらなさそうだね。  女の愚痴なんて大半聞き流して時折テキトーに相槌を打てばいい退屈なBGMくらいに思ってた?  世の中に文句言ってばかりのウザい女だと思った?  病んでるのを演じて心配してほしいだけのイタい女だと思った?  アハハハッ。  わかるのよ。あんたたち男がこっちの話を聞き流してるときってわかるのよ。でもわからないふりをしてあげてるのよ。だってそういうときには鈍感な馬鹿な女が好きでしょ? そのくせ家のことと旦那のことにはよく気が付く家政婦みたいな女が好きでしょ? 自分のことは棚に上げて性格の良い女じゃないと恋愛対象に入らないでしょ?  いいのよ、女だってそう変わらないもの。  あたし、おとこのひとのそういうどうしようもなく馬鹿なところ大好きよ。  アハッ、ねえ、まだわからないの?  あなたがさっき言った場所、トイレで仲間に連絡して、捜索中だったんだ。目星をつけていた場所の一つの近くだったから、あらかじめ張らせておいたの。全然関係ない場所だったら、報告来るまでもうちょい粘るつもりだったけど……案外早かったね。優秀優秀。  被害者女性の片方の靴と同じデザインのものが見つかったよ。  そこが犯行現場かなー。同じところを選ぶなんてバカだねぇ。  自殺志望の女が被害に遭っていることの裏もとれたわ。あたしがメンヘラった途端に目の色変わったもんね。雌犬にがっつく雄犬みたいで可愛かったよ。  あとね、お手洗いに行ったときに、あなたの指紋のついたライターも仲間に渡してきた。  仲間って誰か?  アハハ、まぁだ気づかないかなあ?  このお店にいる人、全員ウチの班の人たちなのよ。あなたが来る前には数人しかいなかったけど、あなたが来てからどんどん入れ替わって……ほら、マスターいないでしょ? 別室にいてお酒作ってもらってたの。あなた、この店来るの初めてじゃないよね。ここで会った女を殺してるよね。  みんな聞いてたよ。  あたしたちのはなし。  照れちゃうねぇ。  んふ、ご同行願えます?  抵抗してもいいのよ。そうなったら公務執行妨害で現行犯逮捕だけど。  動機は快楽か怨恨か。  どうっでもいいわ。行きましょ?  今のうちに言っとくわね。  あたし、あなたのことほんとに好きだったのよ。  今でも忘れられないくらいに。  なのにあなたったら、あんな娼婦を選ぶから。  あんな頭も股もユルい女のどこがよかったの? ああ、その頭も股もユルいところがよかったのね。男なんてそんなもんよね。尻軽女が好きなのね。結局ヤらせてくれる女が好きなのね。そうよそうよね、あたしだって知ってるわ。 だって女の価値なんて穴にしかないものねェ!  アハハハハハハハハハハハハハハッ。  忘れないわぁ。忘れてなんてあげない。  あなたが愛おしくて愛おしくて憎くて憎くてたまらなかった。  昔の話じゃないかって?  アハッ。  だから なに?  この捜査の容疑者にあなたが挙がった時、あたし嬉しかった。  やっとあなたに復讐できる。  この時をずっと待ってた。  ずっとずうっと待ってた。  ああ、ほんとうにかわいい……。  愛してるわ、ジュンタ。
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