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 濃灰色の闇に沈むアパートの廊下には夕焼け色の光の水たまりができていた。  壁面に四角くあいた吹き抜けの空間から夕日が廊下にまで射し込んでいるのだ。  真っ赤に熟れた果実が丸ごと水に落ちてその果汁が溶けだしたような、とろりとした水たまりだった。瞳が涙で盛り上がって震えているかのようにその輪郭は揺らいでいる。  近づくほどたゆたゆと遠ざかり、朱色が薄まって、そのうち段々と青色に変わった。廊下の向こうで切り取られた空のグラデーションそのままだった。  私は少し面白くて、ひとり廊下で行きつ戻りつした。三回ほど繰り返したところで扉の向こうから住人のくぐもった咳の音が小さく響いて、それは別に私を咎めるわけではないとわかってはいたけれど、ぎくりとして前に出した右足を左足に吸い寄せ、呼吸の音を静めてから、一息に廊下を後にした。   妹が爆発したと電話口で聞いたのは今朝のことだった。    家のあちこちにはじけ飛んだ妹の破片は家族総出で回収したそうだ。壁や家具に絨毯はもちろん、妹が爆発したという居間以外に、浴室のタイル、和室のまがい物の掛け軸、父の書斎の机の引き出し、母の口紅の中にまで被害は及んだらしい。我が妹ながら大したはじけっぷりだ。  ゴム手袋をはめた手で妹の肝臓と大腸をトイレから回収したという母の声は落ち着いていて、壁を一面張替えねばならないと言っていた。祖母は自ら老人ホームに行くと言ったらしい。  私は妹の貼り付いた壁なら少し見てみたいと思った。  ひときわ背の高い衣装だんすの上は確認したかと母にたずねると、少し物音がした後に目玉があったと言った。もう回収した破片はおおかた燃えるゴミに出してしまったと嘆く声が聞こえた。  仕方がないのでカラスにやったと母は告げた。   別にだからといって帰って来いというのではなかったけど、今度のゴールデンウィークには帰るよと私は言った。その前に壁紙の張替えを頼むのかだけ母に聞いた。  妹はたぶん三日ほど帰ってこないが、ともあれどうせひょっこり帰ってくる。今までもそうだった。   アパートから出るとまとわりつくような湿気の夕方だった。  空は炙ったサーモンの切断面のような色が青と朱のグラデーションにまどろみ始めていた。  春と夏の間の夕方のにおいは子供の帰り道のにおいだと思う。子供の汗が気化してあたりに流れているのだ。その子供が病気だったら私も病気になるのだろう。   アパートの目の前には道路を挟んで売り出し中の空き地があって、それを幽閉するように八重桜が植えてあった。     鬱にでもなったのか皆満開で、黄泉の列に並ぶ死者たちのように黙々と並んでいた。  こんもりした一つ一つの花弁の中に妹の指が入っているように幻視して、私は浮かんでくる笑みを懸命にこらえた。   妹のはじけ飛んだ様を見られないのがやはり残念だったから、心の慰めにとせめて今日近隣でささやかな話題となった高校生大量爆発の現場を見に行こうと決めていた。  マンションと一軒家の剥製を抜けていく中、私は妹が初めてめくり上がるように爆発したときのことを何度も繰り返し思い出した。  私が十二歳だったから妹はたぶん十歳だった。  私は小学校で誰かの破片が飛び散るのはよく目にしていて、普段の妹を見ている限りこの子もいつかこうなるだろうとは思っていた。  いちごプリンをどちらも譲らぬ果てしない戦いの末に、目の前でものすごい叫び声をあげた妹は、自分の構成要素と三時間半前食べた給食のシチューとパンと牛乳と冷凍ミカンのごった煮を私へと丹念に塗り付けるように撒き浴びせながら四散した。  まずは唇が開いて頬を巻き込みながらめくり上がり、レッドカーペットを巻いて片付けるように妹の身体の内側と外側とをひっくり返していった。  一瞬のことだったはずなのに、私は妹が真っ赤な蛭のように膨らむ姿を延々と眺めていた。ほうれんそうのお浸しは食べなかったようだった。  蛭がジャイロ回転しながら自分をスプリンクラーよろしく放射し終えた頃、騒いでいる私達を叱咤しにきた母親が立ち尽くしているのに気づいた。  母は黙って部屋を見回し、お父さんが帰ってくる前に片付けないとね、とつぶやいた。   帰宅を促す六時の音楽放送が響いた。あちこちに設置された鈍色の大型スピーカーがオルゴール調の『アマリリス』を淡々と大音量で吐き出していた。  幼稚園のお片付けのときの音楽がこれだったので、いつも当時のことを思い出しながら大学からの帰途についていた。  子供が不思議と生臭いときがあるのは、親が爆発するのを見ているからだと私は中学生くらいの頃に気づいて、ふと母の心臓の色を思い出すこともあった。  『アマリリス』は緩慢かつ従順に弾む。  三叉路を右に行き、斜面を足の裏に押し付けるように歩いていると、自転車で下ってくるおばさんとすれ違った。少年のように短い髪と、空虚な日々を満面に描いた瞳とが、弾丸のように私の半身をかすめていった。  すれ違うことなど全く考えていないような速さと間隔で自転車が歩道の上を過ぎてゆくたび、本当は一度くらい人を轢いてみたいのだろうと私は同情する。  あのおばさんは何度はじけ飛んだことがあるのだろうか。  『アマリリス』は旋律を絞り切るとぶつりと途切れた。   斜面を登りきると曲がり角の鋭さを緩和するように小ぢんまりした公園があって、さびついたブランコと私の背丈位の小さな滑り台が置かれていた。  小学生になるかならないかくらいの坊主頭の子供が灰色の服を着て公園に敷かれた砂利をいじっていた。  これくらいの年の子供を見るたびに、私には自分が小学校高学年の頃にわざと保育園児に怪我をさせたときのことが想起される。  一人で歩くと本当にこういうどうでもいいことばかり思い出す。  その保育園は近くにある公園に組ごとでやって来る習慣となっていて、私は時折そこに来る子供たちと遊んでいた。  『遊んでくれるお姉さん』のことを好きなだけ揶揄し、罵声を浴びせ、憎まれ口を叩いても良いと思っている子供たちだった。  私には彼らを保護する義務などなかったから、命綱を他人に握ってもらって激流を漂うような、知らない相手と交流する危うさをわかっていない無邪気な子供が、無条件に信じていた『お姉さん』に手を離されてどんな顔をするのか見てみたかった。  無邪気な顔のできる環境があり、人によりかかって生きることを簡単に許されてきた彼の歴史がただただ妬ましくそして羨ましかった。  生涯消えない傷になれば良いと願いながら、私を軸にしてコンパスのように振り回していた子供の手を離した。  結果は期待外れなものだった。  私が見たのは表情を変える発想などないまま空中に放り出される彼の虚ろな笑顔と、泣き声を聞いて飛んできた保育士の生ぬるい痰が詰まったような無表情だけだった。  私も子供だったからか、一部始終を見ていたかもしれない保育士は私を責めることもせず、泣きわめいている子供を医務室に連れて行った。  私は健気なことにその後罪悪感に苛まれて吐き気を催し、走って家に帰ると布団の中でしばらく震え続けた。  家の電話が鳴ることも誰かが来ることもなかった。その後もしばしば公園で保育園児たちは存在を許され続けた。   公園は高台になっているので、背の低い木の柵越しに遠く高校のグラウンドが見渡せるようになっていた。  緑の網やフェンスは公園のある方向にはついていないので、よく地面が見える。  今日大学に登校してから聞いた話では、この高校では今朝全校生徒ほとんどが集まって自分たちの周囲の教育環境を儚み、一斉に爆発したということだった。  明日になれば各々の家にぱらぱらと戻ってくるだろうし、片づけは登校してきた生徒が一定の人数になってからいずれやらせるということで、現場はまるきり放置されている。  はじけ飛んだ人たちの跡を見ることは、生まれてこの方破片を散らかしたことのない私の密やかな楽しみだった。  誰も気にもかけないのはわかっているのに、私は爆発したことがなかった。いつも私は破片を片付ける側の人間だった。  祖母のものも、母のものも、妹のものも、一度だけ父のものも私は回収した。父のものだけ一部、血抜きをしてから実家の小物入れにしまった。  本来隠すべきである内臓を、恥部を、爆発することで他人の目にさらしているということ、破片を私が片付けたり目撃することによって彼らの恥部の発露を証明できること、彼らは私が見て見ぬふりをしてくれると何の根拠も何の信用も何の約束もなくただただ信じていて、信じていることにすら気づいていないということ。  つまり私の良心などというひどく曖昧なものを無条件に信じさせてくれとわめく子供のような彼らの恥部を私こそが子細に立証できるということは、私にとって愛情表現であるとともに情緒的で煽情的なほの暗い快楽だった。  振り回している最中の子供の手を離すことは自分に向いていないとわかった今、疑似的な行為が今のところこれだった。   グラウンドはもう乾いていて、額面いっぱいのカンディンスキーのコンポジションⅥかⅦあたりを連想させた。素晴らしい。これが私の求めていたもの、恥部の拡大コピーだった。  人体の破片が点々と、たまに糸をひいてのたうって、製作者の息遣いと筆致を表すようだった。  それは星図かもしれなかった。教官の打ち据える鞭の跡かもしれなかった。波が引いて寄せるように揺らぎ、諦めるようにたわみ、虜囚が光に焦がれるように飛沫の跡を残していた。  中心の方に歪んだ円、楕円と呼ぶにはあまりにも無法地帯な円のようなものが重なっていて、ここでは複層の円陣を組んで爆発したのだと思われた。  彼らが若さゆえに持て余した余暇を何の意味もない義憤を振りかざすことに使ったその様子に私は肌が粟立つのを止められなかった。純なる歓喜に打ち震え、作品の完成度をさらに高めたいような気がした。  誰かここからグラウンドに突き落としてあの絵画に加えたらそれは完全なるコンポジションとなるだろうか。  灰色の子供のほうを振り返ろうとしたとき、ふとカラスがあちこちで跳ねてカンディンスキー習作をついばんでいるのに気が付いた。私は目を細めてしばらく加筆の様子を見届けた。  高校生たちは、自分たちの破片を誰が回収すると思っていたのだろうか。誰が片付けてくれると思っていたのだろうか。  そう思うと腹の奥がきりりと痛み唇が引き攣った。  あまりの愚かしさに私は砂にまみれて転がる破片が全てたまらないほど愛おしく思えて、しばらくグラウンドから目が離せなかった。  それは恋をするようだった。   視線を上げた時には空は濃紺となって閉口していた。子供の汗のにおいも消え、灰色の服の子供もいなくなり、肌寒くなっていた。私は公園を出て、来た道を戻り始める。   今はちぎれた破片をさらす高校生たちのように、どうせひょっこり妹は帰ってくる。今までもそうだった。  今度こそ帰ってこないのではないかと思ったら最短記録を更新して、次の日居間で私のぶんだった朝食をぱくついていた。  私は変わらない。  妹は壁を見て壁紙を張替えたことを責めるだろう。母と妹のセンスは合わない。私は誰ともセンスが合わない。私は誰にも理解されない。だから何を言っているかわからないとよく言われるのだ。妹もよく言う。母もよく言う。父と私は話をしない。祖母は私を程よく諫めることに愉悦を覚えている。それが今の彼女の唯一の生きがいだ。いや、生きがいだった。  妹はよく私を指さして大きな口を開けて笑う。    その姿が昔の爆発する様子と重なるので私も笑う。  お前ははじけ飛ぶことができていいね、と私はきっとごちるだろう。 
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