プロローグ

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プロローグ

 長いこと帰っていなかった実家に、これから戻る。  とくに理由はない。  仕事を辞めたとか、恋人に逃げられたとか、人間関係が嫌になったとか、今時流行りのそういうよくあるような理由は、残念ながら、私にはない。  せいぜい、実家に『誰も』いなくなった。  その程度の理由であって、まあいわゆる、『墓守』のようなものだ。 「んー……」  誰もいない列車の予約席で、体を伸ばす。  移動費を切り詰めるために夜中に出たためか、眠っていたようだ。あちこちがやんわり痛い。  両親から最後に連絡を貰ったのはつい一週間前のことで、彼らは余生を楽しむとかで海外へ旅立った。  残り少ない人生を、身よりもなく金もなく行き場もない子供たちを救うために頑張るそうだ。  まあ、私にとめる権利はないし、他の誰にも止める権利というものはないんだと思う。  家族は他に兄が一人いるが、彼はそもそも海外で傭兵のようなことをやっている。  帰国の予定はなく、国内にいるのは都会とも田舎ともつかない中途半端な地で細々と物書きをしている私一人。 (血筋なんだろうな。好き勝手にやっちゃうのは)  車窓から見える景色はない。  外が暗いからなのか、車内が明るすぎるからなのか。  窓の向こうは絵の具をこぼしたかのように真っ黒で、そのほかには何もない。  せいぜい、私の顔が映っているくらいだ。  実家があるのは住んでた地区よりもまだ田舎に近く、自然が多い場所だった。  小さい頃は家屋もまばらに建っていて、よく近くの森を探検したものだ。 「今は、どうなっているんだろうな……」  ぽつり呟いた、誰に向けるでもない言葉。  当然答えるものはなく、走行音がかき消していった。 ***  三時間以上かけて、列車は実家のある南峡市(みなみはざま)へ停車した。  駅舎は変わっていなかった。  多少ボロボロにはなっていたが、概ね昔のままだ。  バス乗り場からバスに乗車して、さらに三十分ちょっと揺られると、ようやくのこと実家までたどり着いた。 「おお……」  寂れていた。  寂れて、寂れて、錆びれていた。  確かに実家周りを囲んでいたはずの住宅街は大半が廃墟のようになっていて、木々らが侵食を始めていた。  見渡す限り、ゴーストタウンだ。  三百六十度、ホラー映画のセットをみているような気分になれる。  人っ子一人いない。子供も大人も犬も猫も見当たらない。 (確かに人口減少に歯止めがきかないとか言ってたけど、まさかこれほどとは)  それも数年前のニュースで言っていたのを、なんとなく覚えていただけの情報である。  今はもっとひどいのだろう。  少子高齢化というものが進んでから、このような集落はたくさんあるそうだ。  老人が死んで、子供は故郷を離れ、都会へ行く。  果ては都会では済まず、この国から出て行ってしまう。  そうした人たちは、大体が戻ってこないものだから、そのままこうして、町としては死んでいくのだ。  政府はその事態を重く見て、とある政策を施行した。  人も妖怪もそうではないものも、『一緒くたに』するというものだ。  南峡市はそのさきがけのようなもので、人間ではないものがたくさん住んでいるらしい。  無人で朽ちていくよりは、そのほうがよっぽどいいとの判断だとか。 「荒れ地にぽつんと建つ我が家……、たくましいな」  外壁こそ多少はがれているものの、私の実家はまだその形をきちんと残していた。  もちろん庭だった場所は荒野と化し、花壇の成れの果てのようなものが見えるがまあ、そこはそれとして。  私はポケットから預かってきた鍵を取り出して、久しぶりの実家のドアを開けた。  ぎいい。 「……中は、普通に綺麗だな」  ばたん。  背後で閉まる音を聞く。  床に埃は落ちていないし、家財道具もまあ、大体は見覚えがある。  とくに窓ガラスも割れていないし、奇妙な液体が散らばっていたりもしない。 「うん、よし! ホラーフラグは回避。とりあえず私がすごしやすいように、快適な配置にさせていただこう」  引きずってきたトランクをひっくり返して、リビングルームに設置。  殺風景だったそこが、ものの数分でごちゃついた。  ついでに持ってきた布団の中に入れば、黒野令央流、執筆スタイルの完成である。 「あとは、ネットショッピングで食材などの買い物関係を手配して……」 「テレビの配線……は、まあ、いいか。世俗にまみれる必要はない」 「電話もスマホがあるから必要ないな……冷蔵庫がちと遠いけど、まあ、いっかあ」  そんなふうにして、私の城は完成した。  かつての自分の部屋には、行かなかった。  どうなっているのかわからなかったし、特別確認をしたいとも思わなかった。  ──そうして、私は、見に行かないままに夜を迎えた。 「………………」  昼間のうちに見に行けばよかったと後悔していた。  先ほどから、奇妙な、小さい音がしているのである……。  誰かが動き回るような、そんな音だ……。 「………………」  物書きとして生計を立てられるようになって、徹夜というものもいくつか体験した。  そのなかで、もちろんこのように「え? 二階には人が住んでいないのに物音がする」というありがちな体験はしている。  もちろんそれも作品の中身に反映させていただいた。  ありがたいもので、私というやつの身の回りにおこることはすべて、ネタになりえるのだが……。 「………………」  奇妙な胸騒ぎがしていた。  見に行ったら何かが終わって、何かが始まる。  そういうような予感と、とくに見に行かなくてもおぞましい何かが二階から降りてくる、といった確信もあった。 (恐怖とは、『わからない』という感情から起こるもの……何かわかれば、多分、『怖い』ことはなくなる……)  ごくり。つばを飲み込む。  そもそも、『そういう町』なのだ。  私の故郷は、そうなってしまったのだ。  だから何かいても不思議はないのだが……いや、私の家には違いがないので、不法侵入ということにはなるかもしれないが。  キーボードの上にのせていた手を、そっと下ろす。  握りこぶしをつくると、傍にセットしていた敷布団の中に逃げ込んだ。 (こういう時は、眠ってしまって、朝を迎えるのが一番)  ぎゅっと目を瞑っていたら、その夜はあっという間に過ぎてしまった。  どうやら思っていた以上に疲れていたらしい。 「ん──……」  体をむくりと起こす。  ひんやりとした外気が懐かしい。  この時期は、本土の方はまだ朝起きても暑いことが多い。 「……?」  ふと、視界の端に何かがちらついた。  何事かと寝ぼけてぼやけたままの視界を向ける。  定まらない。一体誰がそこにいるのだろう? 「…………」 「…………」  我々はしばらくの間見つめあった。  そうしている間に、視界は定まってきて、私の脳にはあることが思い浮かばれた。 (いやいや待て待て。……この家に私以外、誰もいるはずがないのに?)  悲しいかな、もはやこの言葉こそフラグの一端である、とそう気づいたのは、視界がクリアになった頃だった。 「う、わ、ああ、ああああ!」  目の前に立っていたのは、牛頭の大男だった。  被り物をした不審者かと思ったが、違う、手まで毛むくじゃらだ。 (え、なに、だれ、なんで、ここに、)  慌てて後ずさるも、腰が抜けたのか、うまく体が動かない。  どうやら人体というものは恐怖をおぼえると自動的に震えだすようだ。制御しようにもどうにもならない。  震えた指先を動かそうとしてみたが、これもうまくいかなかった。  かろうじて何度か瞬きをしてみる。  これはなんとかうまくいった。もしかしたらそのうちに消えるかもしれない。  そう思ったのだが……。 「…………」  彼は微動だにしなかった。  その焦げ茶色の、決してふわふわはしていない毛を見つめていると、徐々に私の抱き着きたいという要求を湧き上がらせる。  目つきは刃物のように鋭かったが、どこか胸に温かいものを覚えた。 「あ、あ──……、……あ、っと……」  ふむ。どうやら幻覚ではないようだ。  恐る恐る手を伸ばして、彼の腕、青いマントがかかったそれに触れる。  布だ。とてもいい布。それ越しに温かさが伝わってくる。  つまりは──間違いなく、ここに存在している。 「……あの……」 「…………」 「……貴方は……」  どうしてウチにいるんですか、と聞きたかった。  けれど言葉は口から出ていかない。  自宅にこもりきりなうえ、政策が施行されてからもされる前もこういうものとちゃんと向き合ってこなかったせいだろうか。 (……怖くて泣きそうなのはこっちなのに)  目の前の、黄金色の目が、どことなく切なそうだから──だろうか。 「おかえり」  ただ一言、彼はそう言った。  その意味が私にはわからなかった。  だから答えも持ち合わせていなかった。  けれど、ああ、どうしようもなく──胸が熱かった。
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