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しばらくうろうろ歩いて、次に気になったお店の前で立ち止まる。
ヴィンテージの宝飾品ばかり売られたお店だ。落ち着いたグレーのスーツを身に纏った痩せた老紳士が長テーブルの向こうに座っている。
その中でも、古びたブローチの一つが妙に気になった。黒い七宝の台座に丸いガラスが嵌まっており、中に細かい金色の網目模様が細かくあしらわれている。美しくきらびやかなアクセサリーが数多く並ぶ中、不思議と静かな存在感のある品だった。
「これはどういう物なんですか?」
「――ヴィクトリアン後期の、モーニング・ブローチです」
「モーニング?」
「ええ。『朝(morning)』ではなく『哀悼(mourning)』ですが」
ぽかんと口を開けるぼくに向かって、店主はいささか怪訝な顔を見せる。見た目だけはやたら欧米風なくせに、ぼくがすんなり英語を解さない事が意外だったのかもしれない。
母親は確かにフランスから来た人だけど、ぼくはこう見えても日本生まれの日本育ちなのだ。
店主は白いシルクの手袋を嵌めると、几帳面そうな手付きでそっとブローチを摘み上げ、天鵞絨張りのトレーに載せてくれた。
「この、ガラス面の中に入っているのが細かく編み込まれた遺髪です」
「えっ。この紋様みたいなの……遺髪だったんですか?」
そんな髪の毛の使われ方、初めて見た。
「故人を悼み忘れない為に、残された人がアクセサリーとして傍に身につけたのですよ。日本でも最近では遺骨からダイアモンドを作ったりするでしょう。妻なのか母親なのか、それとも恋人だったのかは分かりませんが。殊更世間への建前が重んじられたヴィクトリア時代では、喪に服しているという体裁を対外的にも示す必要があったのでしょうね」
記憶の中で、金色の長い髪を振り乱した母が浅はかに笑う。
――やめよう。
今は嫌な過去を振り返るような時じゃない。
「ありがとうございました。あの、実はぼくこういう者で……」
先程と同じように許可をもらってスマホで写真を撮らせてもらった。
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