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絵の右半分を覆っている『黒』に、吸い込まれそうになる。なんだかこちら側を覗き込まれているような感じさえする。異様な迫力。見ているだけで呪われてしまいそうだ。
どういうことだろう。途中まではとても素敵に見える絵なのに。
そういう作風なんだろうか。何かの念を込めたんだろうか。それとも――ここに住んでいた画家は、この絵を描いている途中でいきなり頭がおかしくなってしまったんだろうか。
「万世先生、これはいかにも『なぞ』の予感がしますね!」
助手として、一度言ってみたかった台詞だ。
先生がいつも相手にしている『なぞ』とは――謎であり『儺詛』。つまり人間の感情や業によって生み出された呪詛の類を指している。物事を歪め、真実を覆い隠しているそれを解き明かすことで、呪詛を調伏し、あるべき姿に還してやるのが万世先生の生業だ。
「――いいえ。まったく」
「えっ!?」
あまりにもきっぱりと先生が断言したので、ぼくは前にずっこけてしまった。嘘だろ。『なぞ』じゃないなら何だっていうんだろう。
「七五三君、眼鏡を」
先生が窓のほうを指さす。
ぼくは指し示す先に顔を向けて、以前先生に頂いた鼈甲フレームの伊達眼鏡をさっとかけてみた。レンズの類を通せば、有難いことにぼくにもこの世ならざるものの姿が視えるのだ。
すると。
「うわあっ! 何なんですかこれ!」
そこに視えたのは、ぞわぞわと蠢く黒い塊。
ず、ずずず……とたった一つの窓の端から現れて、墨が滲むように、植物が蔦を伸ばすように、黒彩をずるずると広げていく。
あっという間に窓全体を覆いつくし、黒一色に染め上げてしまった。
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