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「一体何なんですか! この現象」
先生が涼しい顔で窓を開けると、隙間からしゅるしゅると黒いもじゃもじゃした塊が勢いよく入り込んできて、そのまま先生の手を伝い、肩を上って移動し始めたのだ。
「わーっ! わーっ! 先生危ないですよ!?」
「――ダイジョウブデスヨ」
顔の半分くらいを覆われながら、ちょっとくすぐったそうにしている。
「こちらは『黒玉』という古くからいる妖の一種です。本当のお名前は存じ上げませんが、便宜上『もじゃさん』と僕は呼んでいます。この建物に以前から棲みついているのですよ」
「……本当に平気なんですか?」
「顔見知りの方ですし害はありません。妖の中では珍しく気さくで、人間に対しても好意的な方ですので」
どの部分が顔なのかぼくには一切分からないが、とにかく先生の顔見知りということらしい。もじゃもじゃした細い腕に指を絡ませてたわむれながら、先生が何か喋っている。
「ここの家主は、駆け出しの画家だったようです。彼の描く力の籠もった絵を見て、『もじゃさん』は御自分のことも描いてほしくなったそうで。逢魔が刻に乗じて、窓硝子越しに彼の前に姿を現してしまったらしいのです。脅かすつもりはなかったそうなのですが――」
部屋主の立場になって想像してみる。
窓の外の風景を熱心に描いている時に、いきなりこんな黒いもじゃもじゃが窓いっぱいに現れたら。怪異の類に慣れていない普通の人なら、とても正気ではいられないだろう。慌ててこの部屋から逃げ出し、どこか安全そうなところに避難するに違いない。
「それきり家主が飛び出していって、帰ってこないそうなのです。そろそろ一週間。もうそのまま出て行ってしまったのかもしれませんね。住む世界が違えば仕方が無いこととはいえ――分かり合えないのは寂しいですね」
しんみりと悲しそうにする先生ともじゃさんを、ぼくはどう励ましていいのか分からなかった。
「お話も終わりましたし、今日のところはもう帰りましょうか」
ここで得られるものはもう何も無さそうだと判断したぼくたちが、部屋を立ち去ろうとしたその時。
「――この、犯罪者めぇ!!」
雄叫びと共に、ガキン――と鈍い音がして。
ぼくらの足下をかすめるようにして、部屋の玄関先の廊下に巨大なツルハシが勢いよく突き刺さった。
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