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「家賃も無事回収できましたわね。さすがは万世さんですわ。わたくし一人ではどうなっていたことか」
革バッグに仕舞い込んだ万札の枚数を一枚一枚丁寧に勘定しながら、三四さんが満面の笑みを浮かべる。
「あのアパートは人が亡くなったわけではないんですけどーー以前から『誰かに見られている感じがする』とか『廊下や窓辺で黒い影を目撃した』とか言って、なかなか住人が定着しない建物なんですのよ。今回の画家さんは長く住んでくださりそうで一安心ですわ」
「迷宮通は霊や妖の領域と紙一重のところにありますからね。住める方を探すのも一苦労でしょう」
ぼくと先生は三四さんを迷宮通の入口まで見送るべく付き添っていた。そろそろ辺りは薄暗い。四ツ谷ハウジングの大家ファミリーが住んでいるのは数多町二の筋にある閑静な高級住宅街だと聞いていたので、せめて治安の悪い地域を抜けてバス停に辿り着くまではお送りせねば、という判断だ。
「最近では面白がっていわくつき物件に住みたがる物好きさんも増えてきたんですのよ。けどアタリが悪いと、良くない影響を受けてしまう方も少なくありませんの。体調を崩したり、精神を病んだり、アクシデントに遭われたり……事故物件がさらなる事故を呼んでいるのですわ。さながら負のスパイラルですわね」
「あちら側にはあちら側の道理がありますから。『もじゃさん』のように穏やかな方のほうが珍しいのですよ。人間を取って食う者や敵対視している者もいます。そういう意味でやはり棲み分けは必要なので、人の通る道にだけは気休め程度の結界を張っているのですがね」
それは知らなかった。毎日のように通り抜けているこの細い細い裏路地には、先生の護りが施されているらしい。いつ何が出てもおかしくない不気味なこの通りを何事もなく行ったり来たり出来ているのは、万世先生のお計らいだったのか。
「――ところで『もじゃさん』ってどんな方だったんですの」
「もしかして、三四さんには視えてなかったんですか?」
「ええ。七五三さんのように試しに眼鏡もかけてみたんですけど、わたくしにはさっぱり。皆さんの会話を聞きながら、どんなものかと想像していましたわ」
ぼくもつい二ヶ月ほど前までは何も視えなかったし、自分が霊感ゼロなのだとすっかり思い込んでいた。ルーペや眼鏡等のレンズを通せば『視える』ということに偶然気付くまでは。
「視えない人のほうが多いので気にすることはありませんよ。いくら望んでも修行を重ねても、視えない方はいつまでも視えません。七五三君のように道具などの条件が揃えば視えようになる方も稀にいますが。生まれ持った資質ですし、視えたところで大して得になることもありませんよ」
先生がとんとん、と自分の瞼を人差し指で軽く叩いてみせる。
「それに。視える、視えないなど――実は些末なことです。ある程度以上の力ある存在なら、自分の姿を相手に自由に『視せる』ことが出来ますから。人を脅かす化生の者や、逢魔が刻に乗じて部屋主に姿を見せた『もじゃさん』のように。
さらに高位存在の場合、逆に自らの存在を『視せない』『知覚させない』ことも出来るそうですが――それはもう、神や悪魔の域でしょうね」
神。悪魔。そんなものまで。
先生に出逢ってからはや三ヶ月。呪いの品々は勿論、妖や幽霊、呪いにとらわれた人々、死体――とんでもないものばかり沢山目の当たりにしてきた。今更何が出てきても驚かない自信がある。
「それでもわたくしは、叶うことなら万世さんが視ているのと同じ世界を視てみたかったなと思いますわよ。
――七五三さんと、代わってほしいぐらいですわ」
ぞっとしない発言を、曖昧に笑ってどうにか受け流す。
「まぁまぁ。『もじゃさん』のことが気になるのでしたら、きっとあの画家さんが――近いうちに『もじゃさん』の姿を生き生きと描き出してくれますよ。楽しみに待つとしましょう」
「――ええ、そうですわね」
先生のひらひらした後ろ姿を追いかけるぼくらの影は、やたらと長くて歪だ。ほがらかな笑顔の割に、ぼくを見る三四さんの目元はちっとも笑っていない。身近なところにいる人間こそ、迷宮通に住むどんな霊や怪異たちよりも実は恐ろしいんじゃないかと――ぼくは内心でふるえ上がっていた。
数多町七十刈探偵舎
第八話『とりたて』 終
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