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「物語みたいに派手な必殺技はありませんよ。ごく一般的なお札や術式を使っていますから。でも一つだけ――特別な道具を持ち歩いています」
「へぇ。どんなものですか?」
「――なぞが解ける虫眼鏡です」
先生が懐にしまった包みから取り出したのは、いつも愛用している古びた虫眼鏡。彫刻の施された木製の持ち手。レンズの嵌まった銅製の丸枠に古代文字みたいな紋様が細かく装飾されている。
「ほぉー虫眼鏡! いかにもステレオタイプな探偵さんらしいアイテムですねぇ。鬼に金棒。探偵に虫眼鏡。さすが先生、ユーモアもおありだ。嫌いじゃありませんよ、そういうブランディング戦略」
ユーモアなんだろうか。先生はあまりすすんで冗談を口にするタイプじゃない。言葉の持つ力を知っているからこそ、口にする内容を慎重に選ぶような人だ。おふざけのつもりで言っているとは思えなかった。先生はすぐに虫眼鏡を引っ込め、元通り布でくるんで懐に仕舞った。大切なものなのだろう。
「で、先生はいつから七十刈を? 何かきっかけがあったんですか?」
口元に指先を押し当てたまま、万世先生は少しばかり思考を巡らせている様子だった。どうしたんだろう。優秀な助手のぼくはさりげなく助け船を出すことにした。
「えぇと、先生が『七十刈探偵舎』を始めたのは、確か三年前からと聞きましたけど……」
「そうですね。確かに探偵舎は三年前からですが……よくご存知ですね? 七五三君」
「この前のたこパの時にツグセンから聞いたんですよ」
怪訝そうな面持ちをこちらに向けてくるので、きちんと情報の出所をお示ししておいた。ぼくは何も悪いことなどしていない。例の准教授の名前を出した途端、先生はますます不機嫌そうに顔をしかめてしまった。
「……全くあの方はべらべらと――他に何か余計なことを話していませんでしたか」
「いいえ特には」
平静を装ってにこりと微笑んだ。我ながら嘘をつくのが上手くなったものだと感心する。
「……まぁいいでしょう。
探偵業を始めたのは、この現代社会で自分の為すべき役割に近しいことをしながら食べていけそうなのが、この肩書きだったからですよ。もうひとりの仲間、億良と出逢ったのも大きいですね」
「それはそれは! 七十刈先生と七五三さんの他にもどなたかお仲間がいらっしゃるので?」
「――えぇ。とても頼りになる探偵ですよ」
「へぇ! 知らなかったなぁ。是非その方ともお会いしてみたいですよ」
先生は喫茶店の入口付近の軒先にちらりと目配せをした。美しい豹柄の毛並みをした猫――億良がしなやかに伸びをしながらぼくらの話が終わるのを待っているのが見える。八壁さんも、話題の探偵仲間がこんなに近くに待機しているとは思わないだろう。
「私、探偵舎の皆様には本当に期待をかけているんですよ! ここのところの数多町は悪い噂や凄惨な事件が絶えませんからねぇ。皆さんなら謎多きこの町の真実に立ち向かっていってくれるんじゃないかと、胸踊らせています。美味しいスクープの匂いを嗅ぎ付ける、記者のシックス・センスってヤツですね」
スマホからカシャカシャ、と電子音。何枚か記事用の写真を撮影したらしい。悪戯っぽく肩で笑う。
「だからこの記事は、先行投資――インキュベーション活動です。
皆さんが有名になる前に、ちょっと粉をかけさせてもらうってわけです。アライアンスですね。先生たちが何か事件に出くわした時はSINEでご一報頂ければすぐさま駆けつけて優先的に取材させて頂きますので。その代わり、メディアの力でご活躍は最大限盛り上げさせてもらいます。どうです。win-winだと思いませんか。今後ともよしなに頼みますよ」
では入稿期限があるのでこれで、と言って八壁さんは残りのコーヒーを勢いよく飲み干すと風のように去って行った。
静けさを取り戻した『ともしび』の店内で、先生はまだ半分も飲んでいない冷めたコーヒーの表面をぼーっと見つめていた。
※ブランディング=イメージ醸成
※インキュベーション=事業創出支援
※アライアンス=提携
※win-win=双方に利益がある様子
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