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「……疲れました」
探偵舎に帰りつくやいなや先生は被っていたカンカン帽を取り、黒い羽織を脱いで応接間のコート掛けに引っかけた。そのままソファの背もたれにずるずると体を沈める。ぼくはお疲れの先生の背後にさっと回り込んで首や肩を揉んで差し上げることにした。頼まれたわけではないけど。
「よく喋る方でしたね。しかも先生の苦手なカタカナ語多めだし。ところどころ何言ってるのか分からなくて大変でした。元々『一日密着取材』ってご提案でしたけど、先生のおっしゃった通りインタビューだけにしておいて良かったですね。あまりにも長丁場だと先生が持たなそうですし」
「カタカナ語はともかく……この建物には呪のかかった物品が沢山置いてありますので、おいそれと関係者以外を入れることは出来ませんよ。それに――」
なんと、余程くたびれているらしく後頭部をぼくの肩口に乗せてもたれ掛かってきた。頭の重量を支えるのも億劫なのだろう。「役得」という二文字を飲み下し、くすんだ茶灰色の髪を掻き分けて目の周りや頭もついでに揉みほぐす。寄ってしまった眉間の皺を入念に伸ばしていたら、億良も気になったのか先生の側に上がり込んで心配そうに胴体を擦りつけてきた。
「『密着取材』だなんて、別に気を許しているわけでもない相手に終日くっついていられるなんて真っ平です」
「先生。それって――!」
胸の内で熱いものがふつふつと込み上げてくる。周りのがめつい大人達から学んできたことだ。物事を最大限自分の都合のいいように解釈するのが、上手く生きていく上で欠かせない道だということを。
「終日一緒に居させてもらえているぼくに対しては『気を許している』という認識でいいんですよね?」
「――はい……?」
「良かった。ぼく感激です! 先生がそんな風に思っていてくださっているなんて。助手冥利につきます!」
「まだ何も言っていません」
嬉しさ余って後ろから抱きつこうとしたら、ぼくと先生の間にするりと億良が割り込んできたので、勢いのままネコサンド状態になる。彼女のビロードのような毛並みが心地よい。ぼくには何となく分かる。億良もきっと、ぼくと同じような気持ちなのだ。
「――まぁいいでしょう。
七五三君、冷蔵庫にある湧水を注いできてもらえますか。あと軽くつまめるものも。おせんべいがいいです」
「はーい♪」
あれっ。喫茶店のコーヒーはあまりお口に合わなかったのだろうか。コーヒーはお嫌いでは無かった気がするのだけど。
いつも冷蔵庫に常備してある蛇神様の山で汲んできた湧水と、貰い物の煎餅を取り出しお盆に載せて運ぶ。億良にも抗いがたい美味しさと話題の、チューブおやつ『ちゅるちゅる』を用意する。
先生はひとしきり喉をうるおすと、あっという間にぱりぱりと煎餅を三枚平らげてしまった。夕飯前なので小腹が空いていらっしゃったのかもしれない。多少疲労の色が和らいだようで安心する。
「それにしても、どんな新聞記事になるんでしょうね。万世先生がかっこよく写ってたらいいなぁ。そういえば先生。最近はSNSに上げる写真にもよく写り込んで下さるようになりましたけど、心境の変化ですか?」
出逢ったばかりの頃は、ぼくが探偵舎のPRの為にメンバーの写真を撮ろうとしても、中々撮らせてくれなかったのだ。それなのに、いつ頃からだろう――ぼくがスマートフォンを向けても嫌がる素振りを見せなくなっていた。先生も文明の利器に慣れてきたのかなぁと、勝手に自己完結していたけれど。
「通常――呪術を扱う者は、滅多に己の素顔を晒したりはしないんですよ。顔を知られるということは見ず知らずの敵対者から呪いの対象にされる危険性がありますからね。僕も例外ではありません」
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