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【出発二日前 七五三 千】
「先生っ、先生~~! 大変です――!」
探偵舎の廊下をスリッパでばたばたと疾走する助手のぼく――七五三 千の手にしかと握られているのは、一通の封筒。
先程ここ――七十刈探偵舎に速達で配達されてきたのを、人間よりずっと耳のいい猫の億良が気付いていち早く回収して咥えてきてくれたのだ。
飛び込んだ応接間で――ここの主である七十刈 万世先生が、ぼくと億良を迎え入れた。相変わらず和風の郷土人形みたいな無表情さに、全身黒一色の装い。
夏でも長袖の黒装束は譲れないらしい。
「――どうしたんです、七五三君。億良まで。そんなに慌てて」
「依頼の手紙が来たんですよ。万世先生!」
「? ……珍しいことでもないでしょう」
「まぁ見て下さいよ。差出人がすごいんです!」
ぼくは興奮気味に封筒の裏面を指し示す。
ここから二つほど県境を超えた先にあるM県の、鬼戒村という所からの手紙らしい。差出人のところには『村長 簑島 吉次』という名が記されていた。
「鬼戒村、ですか。聞いたことがありませんね――」
先生が手紙を開封すると、自分の村で呪道に関連した問題が起きているので解決をしに来てほしい、詳しくは到着してから説明する――という趣旨の内容が書かれており、往復の特急券の切符が二枚同封されていた。
「すごいじゃないですか。県外からの初依頼ですよ! しかも村長さんから直々にだなんて! 探偵舎の知名度が上がってきた証拠です!」
この地方の幾つかの県にまたがって発行されている恒河日日新聞に掲載された効果が現れたに違いない。先日、地域面に先生のインタビュー記事が掲載されたばかりなのだ。恒河社のほうに足を向けて寝られないな――と知り合いのライター、八壁さんのへらへらした顔を思い出していた。
「依頼人がどこの誰だろうと関係ありません。ぼくは必要に応じて目の前の『なぞ』を解くだけですから」
「でもわざわざこうやって離れた町に住んでいる先生を呼び寄せるなんてよっぽど困っている証拠ですよ。きっと現地で何か大変な事件が起きているに違いありません!」
大物からの依頼にすっかり舞い上がっていたぼくとは対照的に、万世先生は相変わらず淡々としている。俗世間に疎い先生は権威や肩書きには一切靡かないらしい。せっかくの重要案件を反故にしたくないぼくは、懸命に情に訴えかける。顎に手を当ててほんの少し考える素振りを見せた後、先生がこくりと頷いた。
「分かりました――では、週末にでも出発しましょう」
「はい! 早速スマートフォンで交通経路を調べますね」
地図検索すると、数多町からM県鬼戒村へは特急に乗って二時間。その後、最寄駅から車やバスで一時間。合計三時間以上はかかる距離らしい。つまりは、物凄い田舎の僻地のようだ。
籠の中での長距離移動は猫の身には大きな負担になってしまうので、今回億良は大家さん宅の三四さんにお願いすることになった。応接間のソファの上で先生と億良がしばらく話し合っていたので、きっと相談の上で判断したのだろう。
ぼくには億良は「にゃあにゃあ」と鳴いているようにしか聞こえないのだけれど、不思議なことに先生はなんとなくの意思疎通が取れるらしい。ぼくには預かり知らない領域だが、波長みたいなものが合っているのかもしれない。
ということは。
必然的に先生と二人で泊まりがけの依頼、ということになる。
危険な旅になるかもしれないが、ぼくの心は静かに高鳴っていた。
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