430人が本棚に入れています
本棚に追加
【一日目 正午 七五三 千】
まずは地図を頼りに、人口の一番多い村南東部の居住区『印辺集落』で情報収集をすることにした。村役場から歩いてすぐの区域だ。瓦葺の古い家が、多少の感覚を空けながら並んでいる。あとは田んぼや畑。自給自足、地産地消の生活を送っているのだろう。
万世先生は、自分からは特に何も申告しないものの、世間からひどくずれていらっしゃることもあり、人付き合いが得意ではないらしい。先生にはいずれ特別な力で『なぞ』を解いて頂かなくてはならないので、こんな些事で無駄に疲れさせてしまうわけにはいかない。
そこで――先生の有能な助手である、このぼくの出番というわけだ。
「――あのぅ」
ちょうど畑を耕していた第一村人のおじさんを発見し、ぼくは話しかけてみた。けれど話しかけてみても返事が無い。
「すみませーん! 少しお話したいんですが!」
聞こえなかったのかと思って、大きな声で呼びかけてみるも反応は変わらなかった。顔をしかめているので、聞こえていないわけではなさそうだけど。
どういうことだ? 何か気に障ったのだろうか。
疑問が頭に浮かびかけたところで、ぼくは不意に思い出す。
そうだ。――すっかり『大事なこと』を忘れてしまっていた。
「ぼく、簑島村長の、えぇと……親戚の者です! ちょっと聞きたい事があって!」
「ほーぉ。簑島さんとこの? どういう親戚かねぇ」
やっと反応が返って来た。やっぱりわざと聞こえないふりをしていたようだ。
しまった。続柄を全く考えていなかった。勢いで出任せをすらすら並び立てる。
「やだなぁ。疑ってるんですか?……従兄弟の姪の隠し子の愛人の友達の次男ですよ! ――あ、こっちの黒づくめはぼくの兄さんです! 全然似ていませんけど、とっても仲良しなんですよ。えへへ」
先生の薄っぺらい肩を引き寄せて、にこりと笑って見せた。生まれついての金髪に青い眼というぼくの外貌だと縁者と言い切るのも非常に無理があるけれど何とか押し通すしかない。どきどきしながら反応を窺っていたら、
「――なんじゃあ。そういうことなら早く言わんかね。見ねぇ顔だからどこのもんかと思うたわい! 簑島さんとこかぁ!」
急にほがらかな調子で破顔した。ほっと胸を撫で下ろす。
「ところでここ最近、村で誰か居なくなったって話、知りませんか? ぼく、この辺りに慣れていないので心配で」
「印辺では聞いたことねぇけど、深ノ森集落の知り合いが家のもんが帰ってこねぇって言ってた――って噂は聞いたなぁ。散歩に出かけてそれっきり。もう三日も帰ってこねぇらしい」
やっぱり――行方不明者は実際に出ているのだ。
深ノ森集落――地図を見る。村の北西部、さらに分け入ったところにある森の入り口付近の居住区のようだ。
「怪しい人は見ませんでしたか?」
「気になって探しに行ったって奴が、見たそうじゃよ。ここいらじゃ見ない真っ白い服を着た集団に連れて行かれるのを。『封囲の森』の方角にぞろぞろ向かって行ったんだと。
どっから来たか分からんが、何かの宗教なら迷惑な話じゃて。
あそこの森は、わしらにとっちゃ特別な場所なんじゃ。一番奥に生えとる伝説のご神木の話は知っとるかい。あれは樹齢六百年にもなる槐の木でなぁ」
「『槐』は魔を退ける力がある木ですね。よく魔除けのお面にも使われています」
万世先生がぼくの脇からひょこりと顔を出す。すっかりぼくを盾にすることを覚えたらしい。
「そう。大昔――江戸時代の終わり頃じゃったかの。この村を病魔が襲った時、鬼を封じ込めてくれた大切な木なんじゃ。この村を見守ってくれとるんじゃよ。わしら小さい頃から、木に濫りに近づいたり、木を決して傷つけてはならんときつく言われて育ったもんじゃ。その傍に居座って妙なことをしよるなんて、とんでもない奴らじゃ」
老人の顔の皺が深くなり、隠しもせず苛立ちを顕わにした。かと思えば、仏様みたいな顔でくるりとこちらに振り返る。
「そうじゃ。ご神木の根元から湧き水が湧いておってな。深ノ森にある給水所にわしらも時々汲みに行っとるんじゃ。この村の水道水にもごく一部じゃが使われとるよ。都会の水がどれだけ不味いかは知らんが、この村の水道の水はお陰様でそのまま飲んでも十分美味しいんじゃ。わしら村人は――ご神木と、この水で繋がっているようなもんじゃ。絆じゃ。
湧き水そのままとはいかないが、あんたらも飲んでみるかい」
「あ。じゃあ、お言葉に甘えて頂きます」
湯呑みで水道水を振る舞われる。暑くて喉が渇いていたので丁度いい。水道水ということだったけれど、程よく冷えていて、数多町で飲む水よりは随分と美味しいように思えた。飲み水にうるさい万世先生でもこの水ならば飲んで下さるに違いない。
隣をちらりと見やる。
湯呑みの端に口をつけたまま、先生はちょっと変な顔をしていた。
最初のコメントを投稿しよう!