430人が本棚に入れています
本棚に追加
第十話「きかいむら」後編~鬼退治伝説と白装束集団~
数多町七十刈探偵舎
第十話『きかいむら』後編
【二日目 午前五時 都九見 京一】
「――おはよう。万世君。奇遇だねぇ」
未明の大浴場。朝日が昇りかける時刻。
山から下りてくる清涼な空気。昨晩はここで随分な目に遭ったけど、少なくとも今は安全なようで胸を撫で下ろす。
湯煙の向こうに馴染みの痩せた背を確認して、私は爽やかに微笑んだ。
「気配がすると思ったら、やはり貴方ですか……もう出ます。それでは」
「まぁそう邪険にしないでおくれ。折角の貸し切り状態なんだから、もう少し一緒にいようよ。ねぇ?」
「……早朝から嫌がらせですか。分かっていて入ってきたでしょう」
「あっはっは。年寄りの朝は早いのさ」
「微妙な年代なのをいいことに、都合よく年を取ったり若返ったりするのやめてくれませんか」
むやみに近付いたり無遠慮に見つめたりすると警戒されるので、一メートル程の距離をあけて湯船に浸かった。横目で様子を伺う。
骨の浮いた首筋に張り付く、くすんだ灰黒色の蓬髪。かつて共に過ごしていた頃より幾分肌つやが良くなったように思う。台所を取り仕切っている七五三君に丁寧に栄養管理されているのだろう。口に入れた物が多少影響するのか。たとえ食べた物が殆ど身にならなくても。
おっといけない。「実験動物を見るような目付きをやめろ」とまた叱られてしまいそうだ。
「あぁそうそう。私以外には誰も来ていないから安心していい。七五三君も二月君もよく眠っていたよ。昨日あれだけ走り回ったからね。暫く皆起きて来ないだろうよ」
「……そういう時間帯を選んだんですがね」
いやぁ。早起きは良いものだ。
教え子達の無邪気な寝姿をたっぷりと眺め回した後、こんなふうに朝風呂で万世君の不機嫌きわまりない表情を堪能する時間まで確保できるのだから。
「君はすぐ――あれに気付いたようだね。部屋で満足に水浴び出来なかったでしょう」
「さすがに気付きます……昨夜の強引な『酒宴』は、一応の処置のつもりでしょう」
「念の為さ。ここはお湯だけど一応『源泉かけ流し』で良かったねぇ。あ、でも私が一緒に入ったら意味が無くなってしまうかな」
「もういい――今更です」
濁り湯の中にとぷんと沈み込んでいる。癖のあるふにゃふにゃの髪がわかめのように揺蕩っている様子に微笑がこみ上げてくるものの、本人は大真面目なので黙っておく。今は喧嘩がしたいわけじゃない。
「まぁたまには温泉でリフレッシュするのもいいんじゃない。人間らしくて。七五三君が、君の背中を流せないって残念がっていたよ。本当にいじらしい助手だねぇ彼は」
どうしてあの子はよりにもよって万世君にそこまで入れ込んでいるのだろう。目的があるのなら『Zebius』の彼らがうまく探り出してくれるといいのだけれど。
「背中――? 流してどうするんです」
「年若い者が敬愛する年長者を労う為の古式ゆかしい文化さ。知らないのかい? 万世君も広くて逞しい都九見さんの背中を心置きなく流してくれていいんだよ」
「――嫌です。お断りします」
「やだなぁ、照れなくてもいいのに♪」
最初のコメントを投稿しよう!